続・今日もやっぱりかえる顔

なぜか巻き起こってしまうまぬけな日常を、ひらがな中心のまぬけなテイストでお届けします。ときどき乃木坂46。

「ゆとり教育」の真実-ゆとり教育の実態は詰め込み教育だった-

こん○○は。かえるがおことモデル・レートルです。

いつものひらがな主体のまぬけなお話は封印しまして
本日はこのブログを復活させる理由のひとつだったまじめな話をしたいと思います。
1日1アクセスほどのブログではありますが、本日の内容はひとりでも多くの
「ゆとり教育」を受けてきたみなさんへお届けできたらと思っております。

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1.「ゆとり教育」についての固定観念

 

現在、「ゆとり教育」といえば、学習内容や授業時数を削減し、ゆとりを持った
教育、というイメージがあるかと思います。
ただし実際のゆとり教育の実態はそうではありませんでした。


また、現代ではなぜか「ゆとり教育」という言葉のイメージからか、ゆとり教育世代も含めて、蔑んだ意味合いで用いられることも多いのが現状です。

たくさん存在される当時教員だった教育評論家の方々から、いつか真実が語られることもあるだろうと期待していたのですが、残念ながら今もなお「ゆとり教育」という言葉のイメージだけが先行してしまい誤解されている状況が続いています。

このままでは「ゆとり教育」を受けてきた世代があまりにもかわいそうなので、
当時の教育現場の様子を交えて、
真の「ゆとり教育」の実態をお伝えしたいと思います。

 

2.「ゆとり教育」の真の実態

 

 まず1998年「ゆとり教育」がうたわれた学習指導要領の改訂後、2002年の小学校で施行されたため、ここでは2002年以降に小学生中学生だった世代の方を「ゆとり教育」を受けた世代と定義させてください。

2002年「ゆとり教育」を柱とした、学習指導要領が施行されました。
主な改定点は
①完全週5日制への移行
②授業時数の削減
③学習内容の削減
④総合的学習の時間の創設 などでした。

学習指導要領の改訂内容だけを見ると、やっぱりゆとりをもった余裕ある教育に変わったのではないかと誤解されてしまいそうですが実際はそうではありませんでした。

まず従来は第2、第4土曜日のみが休業日でしたが、完全週5日制の導入に伴い
土曜日はすべて休みになりました。このため月に2回から3回の土曜日の授業4時間分の授業時数が物理的に少なくなりました。

具体的には、1年間の授業週を35週で仮に20週が土曜休業日が増えたと仮定すると
土曜休業日増20日×土曜日分の授業時数4時間 =80単位時間
80単位時間の絶対的な授業時数、授業枠が減ったことになります。
※1単位時間は小学校45分、中学校50分

また、学習指導要領の大きな柱である、授業時数の削減も同時に行われ
小学6年生を例にあげると年間1015単位時間から945単位時間へと
70時間減らされました。

土曜日の完全休業日化に伴い、約80単位時間分の授業枠が減るのに対して、
70時間授業時数が削減されたので、
「ゆとり教育」の大きな柱である授業時数の削減は、授業枠減で相殺され、
実際にゆとりある教育活動へはつながらなかったと思います。

ただし、当時の教育委員会に先見の明があったとしか言えないのですが、
当時の教育委員会は、各学校の教育計画(授業時数や行事予定)を提出する際に、各学校に対して、学習指導要領に記載の授業時数を最低限確保できるような教育計画、カリキュラムの提出を求めていたのです。

具体的には、学級閉鎖、天候による休校、また不測の事態が発生して、授業が実施できない場合でも、学習指導要領に記載の年間授業時数を最低限クリアするために、学習指導要領の授業時数を超えて、教育計画を立てるように求めていました。

先ほど例を挙げた小学6年生の場合には、新学習指導要領では945単位時間が必要なので、不測の事態が発生しても最低945単位時間が確保できるように、945+10%程度合わせて1045時間単位程度の、旧指導要領の1015単位時間と同等の授業時数を求められました。
※このへんの説明は当時教務主任で、市区町村教委に教育計画を提出されていた先生方がいらっしゃったら補足をお願いします。

結果的に授業枠に対する授業数の比率が高くなり、
ゆとりどころか、逆に授業枠に目一杯授業を詰め込む教育に変わることになりました。

 

旧指導要領の授業数=授業枠と仮定した場合の増減比較表f:id:faceflog:20161222135859p:plain

 

3.削減された授業枠の確保と逼迫した授業時数

 

すでに完全週5日制の導入により、旧指導要領と比べて、約80時間の授業枠が存在しないにも関わらず、同等の授業時数を確保しなければならいため、当時の学校は授業時間枠の確保に頭を悩ませました。
そこで各学校がとった苦肉の策が以下のような内容でした。


①始業式、終業式後に授業を行う

 始業式、終業式の通常午前中だけの授業日について、新たに午後も授業を行う。
 結果終業式で、修了証(通知表の裏表紙に書いてあるもの)をもらった後に
 授業を行う事態となった。

②学校行事の練習の時間を授業時数に加える

 運動会、学芸会、音楽会、展覧会、合唱コンクールの練習や会場設営の時間を

 旧学習指導要領では準備のための時間として授業時数にカウントせず
 消費していたが、新学習指導要領では特別活動の学校行事として授業時数に加える。
 それでも足りない場合、準備の時間を減らしたり、学芸会、展覧会を隔年開催とする
 など学校行事自体を減らした。
 ※特別活動とは
  教科・領域の領域に含まれ、主に学級会、クラブ活動、委員会活動、学校行事等で
  構成される。新指導要領では年間35時間の授業時数があてられた。

③授業時間枠を新設する

 3年生より6時間授業を始める

 1年生より5時間授業を始める
 夏休み明け、家庭訪問期間中などに行われていた午前授業、短縮授業をやめる 
 など

結果的に、学校の授業時数自体に余裕がなくなり、授業時数を確保することに精一杯になるようになりました。

一方当時の世間は、「ゆとり教育」という言葉だけが一人歩きして、土曜日が完全休業日になることから、子どもたちの学力が低下しないように、土曜日は子どもたちを集めて、「土曜学校」と称して活動をしている地域が多くありました。
結果的に、学校では土曜日の授業枠がなくなった分、他の曜日に授業が詰め込まれ、
ゆとりをもって過ごすための土曜日も、地域の授業に出席するという事態になりました。(地域の教育力の活用)

 

4.「ゆとり教育」の学習内容の削減についての真実

 

 一方、新学習指導要領の柱である、 学習内容の削減においても、実際に記載の通りに削減されたかどうかは疑問です。
ここでは学習内容の削減でよく例に出される、円周率を取り上げてみたいと思います。

円周率は3.14ではなく、3として計算するようになったと一般的には思われています。
しかしながら、当時の教科書から少なくとも「3.14」という言葉が消えることはありませんでした。

例に出して申し訳ありませんが、算数ではシェアNo1の教科書メーカー東京書籍を例に出すと、「3」の記載があって、なおかつポイントとして「3.14」が併記してありました。
当時の文部科学大臣の緊急提言で「学習指導要領の記載は最低基準である」という言葉を受けて併記されていたのか、教科書メーカーの方に先見の明があったのか、今となってはわかりません。

また教科書選定時に見た限り、今回例に出した東京書籍だけでなく、ほかの教科書メーカーも併記が多かったと思います。

教材に両方書いてあるのに、無視して片方だけを解決方法として子どもたちに提示するのはあまりにも不自然なので、教科書に記載されている限りどうしても授業で3.14に触れざるを得ません。

また、算数の授業というものは、一方的に
「円周を求めるときには直径に円周率をかけるんだよ」
と言って公式を教えるものではなく、
子どもたちが自ら体験して、円周率があることに気づくようにするのが本来の授業です。

一例を示すと、円周率を学ぶとことを目標とする授業であれば
・型紙にコンパスで円を作って切り抜く
・切り抜いた円を、別の紙に転がして実際に円周の長さを測る
・切り抜いた円と円周の長さの関係性を、定規やコンパスを利用して、
 子どもたち自身で考える。
このようなやり方で授業をすすめれば、
大小の円をくりぬいて試したところ、
直径にある特定の数ををかければ円周の長さと同じになったよ、
と自ら気づくことができるので、あらかじめ公式として3とか3.14とか
教え込むこと自体にあまり意味がないのです。

5.「ゆとり教育」とは何だったのか

 

 「ゆとり教育」とは何だったのか、当時学校現場にいた者としての率直な感想をまとめますと、
 「ゆとり教育」の施行で授業時数は確かに削減されたが、土曜日完全休業日化の授業枠削減で相殺され、なおかつ最低授業時数を確保するため多めの授業時数を求められた結果、総授業時数が増え、他の曜日の授業時数が増えたり、学校行事が削減されたりした。
また、授業時数減に特化された当時の「ゆとり教育」についてのイメージから、休業日になったはずの土曜日にも地域の教育力としての授業が展開されたことが、子どもの余暇の削減と学習機会増へとつながった。
授業内容の削減については、併記する教科書メーカーが多かったことと、一般的に従来の一斉教授型の授業から、体験学習型の授業への転換が図られていたことから、効果は未知数だった。

これが「ゆとり教育」の本質だと、当時教育の現場にいたわたしは思っています。

一番かわいそうなのは「ゆとり教育」を受けてきた世代です。
学校での授業時数が増え、楽しみにしていた学校行事も削減され、終業式のあとも授業を受けるくらいに授業に追われていました。
休みの日と思っていた土曜日にも地域の授業で集められて、
結果以前の世代と比べ余裕がない学校生活を送ることになったと思っています。

教育の本来の目的のあらゆる側面から人格を育てるために、すべての教科、領域があるという考え方からすると、確かに授業時数に追われ教科に偏って、学校行事や学級の催し物としての経験が少ない世代なのかもしれません。

ただし他の世代が体験してこなかった単位時間の授業量をこなしてきた
実績は大きいです。
もし成長する発達段階の中で、足りなかった発達課題があるとしたら
それを今からでも補うことで、他の世代よりより優秀な人格として
育つことができる世代が「ゆとり世代」ではないかと、わたしは個人的に思います。
可能性を秘めている世代と言い換えてもいいでしょう。

「ゆとり世代」の子どもたちは個性にあふれ、まじめな子どもたちが多くて、わたしはとても好きでした。

時代は変わり、「ゆとり世代」と呼ばれる元子どもたちは大人へと成長しました。
他の世代が経験してこなかったことを経験してきた世代なんだという自信をもって、
自分らしく活躍してほしいと心より願っています。

 


そして、こんなだらしない先生ですみませんでした。
がんばれ、ゆとり!いつまでも応援しています。

※2017/01/04 わかりやすい表現に加筆訂正いたしました。

 

池上彰の「日本の教育」がよくわかる本 (PHP文庫)

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「ゆとり」批判はどうつくられたのか: 世代論を解きほぐす

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