続・今日もやっぱりかえる顔

なぜか巻き起こってしまうまぬけな日常を、ひらがな中心のまぬけなテイストでお届けします。ときどき乃木坂46。

東日本大震災の前日-交通事故の加害者になる2011年3月10日-

こん○○は。かえるがおです。今日はまじめなお話です。

今年も3月11日が近づいてきました。
2011年3月11日に東日本大震災が発生しました。
東北地方を中心に甚大な被害を受けられた方々
被害に遭われて尊い命を落とされた方々に、謹んで哀悼の意を表します。

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復興が遅々として進まない中で、懸命に今もなお復興に頑張られている方も

多いと聞いています。
まだまだ復興途中、あの悲惨な出来事を風化させないようにしなければいけません。

個人的にはその前年まで仙台に赴任していて、仙台の方々には本当にお世話になりました。仙台はとても住みよい街でした。1日も早い復興を願っています。

被害者の立場から、加害者へ

今回はその前日2011年3月10日の話です。
今回も自分の自己満足の記事です。すみません。
怖い話なので、苦手な方は読み飛ばしてくださいね。

今までの人生の中で、これまで何度か交通事故に遭いました。
バイクに乗って走っていたら、暴走族の車に後ろからぶつけられて
電柱にぶつかったこととか、
通勤中に横の路地から一時不停止の車が出てきて、
バイクごと横倒しになったこととか、
幸い大きなけがにはならなかったのですが、
どちらかというと被害者の立場でした。

2011年3月10日その日は突然訪れた

2011年3月10日の夕方のことです。
友達と会ったあと車で帰る途中でした。
あと2つの交差点を曲がれば自宅に帰れる場所での出来事です。

大きい道と大きい道が交差する交差点で、そこをいつも右折していました。
交通量は多かったのですが、通り慣れた道ですし、いつものように
その交差点を右に曲がりました。

ちょうど交差点に進入した時に、向かいから直進するバスが
パッシングをしてくれて道を譲ってくれました。
それで、いつもよりちょっと急いで右折をしました。

すると右折したところ、ちょうど横断歩道を渡っている歩行者の方がいて
あぶないと
思ってブレーキをかけた瞬間、
まるでスローモーションのように、その人はぐるぐると回って
車のフロントガラスに飛ばされました。

フロントガラスは粉々でした。
20mほど行くとバス停があり、そこに駐車スペースがあるので
そこに車を停めると、私は急いで被害者の方に駆け寄り
大丈夫ですか?と声をかけました。

被害者の方も混乱されていて、少し歩こうとされて
歩けないことに気が付き、その場に倒れました。

混乱

車がぶつかったあと、ぐるぐるまわってフロントガラスに
ぶつかった衝撃はすさまじく
被害者の方は頭からは血を流されています。

私は気が動転していて、流れる血を手ですくっては
頭に戻そうと必死で、わたしも血だらけでした。

そのうち通行人の男性数人が私を羽交い絞めにしました。
「なぜつかむのですか?」と聞いたところ
「逃げるな!」と恫喝されました。

通行人の方も一目で重大事故とわかるような、
それだけすさまじい事故を起こしたのです。

通行人の方はわたしの身柄の確保を最優先にしたようです。


どなたかが救急車を呼んでくれたようで、
被害者の方は救急車に運ばれて行きました。
「誰か付き添ってください」と言われたので、私が行こうとすると
通りすがりの紳士風の方が、
「あなたは警察の取り調べがあるから私が行きます」と言っていただきました。

それからすぐに損保会社へ連絡しました。
どんな状況でしたか?と聞かれて、私が話した言葉は今も忘れていません。

「頭から血を流されていました。あの状態ではきっと助からないと思います」

電話口から「落ち着いて、落ち着いて」という声がむなしく響くばかりでした。

警察署のロビー

まもなく警察が到着し、実況見分のあと、
最寄りの警察署まで自力で来るように言われました。
フロントガラスが粉々の車で、警察へ向かいました。

警察では、すべてを正直に話しました。
バスがパッシングしたこと、急いで右折したら前方から歩行者の方が
こちらへ向かって横断歩道を歩いてきたこと、
被害者の方がかなりの重症であること、すべてをお話ししました。

警察の方は事情は分かったけど、相手の方の容態により、今後の処分が決まると話されました。
そして相手の方の容態の確認中の間、私は警察署の誰もいない
真っ暗なロビーで一人の時間を過ごすことになりました。

被害者の方は頭から大量に出血されていたので、おそらく容態は厳しいことになるでしょう。
こんな時に思い出すのは、やっぱり家族の顔です。
両親や兄弟、なくなった祖父母に顔向けできないことをしてしまったと
呆然としていました。呆然としてる時は声も出ないし、うつむくだけで
他のことも考えることができませんでした。

 

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3人の人影

しばらくロビーにいると22時頃だと思います。
警察署の玄関の自動扉があいて、3人の男性のシルエットが近づいているのがわかりました。

そのうちの1人の方が、「加害者の方ですか?」と声をかけてこられました、
「はいそうです」と答え、ソファーから立ち上がり

「大変なことをしてしまいました。すみませんでした」と頭を下げました。

聞くところによると、被害者の方の上司の方で、わざわざ警察署まで
来ていただいたとのことでした。
そして名刺交換をした後、その上司の方がとなりに立っている人を指さして
紹介されました。

「被害者の○○です」と。

奇跡

隣に立ってる方の様子をよく見たら、頭に包帯を巻かれています。
暗くて最初はわかりませんでしたが、確かに事故現場で見た被害者の方でした。
被害者の方は、私へのやさしさなんでしょうか、満面の笑みを浮かべて
私に握手を求めてこられました。

ああいう時って本当に不思議なんですが、
初対面なのに、ふたりで泣きながら抱き合ったんですよ。
「無事でよかったです」って、男2人で抱き合って号泣したんですよ。
本当に不思議な感覚でした。

「お怪我大丈夫だったんですか?」
「精密検査で異常なしって言われました」
「痛いところはないですか?」
「ちょっと傷が痛むくらいです」

詳しく聞けば、仙台から単身赴任で来られている方で、
柔道をやっててとても体が丈夫だと言われていました。

被害者の方が、たまたま丈夫な方だったから

奇跡的に軽症ですんだのですが
正直被害者の方が子どもやお年寄りの場合、
確実に重大事故になるようなレベルの事故でした。

後に警察の方から聞いた話では、
歩行者の方は前方からこちらへ向かって歩かれていたと
思っていたのですが
実際は逆で、同じ方向を向いて歩いていた
私の車の後方から来られていたとのことでした。
まったく歩行者の方をちゃんと見てなかったんですね。

おごり

事故の原因は完全な私のおごりでした。
ずっとゴールド免許だし、運動神経にも自信がある
大きな左ハンドルのアメ車から、小さな日本車に変えたばかりで
自分が事故を起こすはずがないと思い込んでいました。

その結果が重大事故です。
被害者の方のけがは奇跡的に軽症で、処分を受けることもありませんでしたが
私の中ではとても大きな重大事故です。

いまもなお、車でぶつかった瞬間、被害者の方が宙を舞う瞬間、
フロントガラスにぶつかる瞬間をすべて鮮明に覚えています。
夢に出てくることさえあります。

翌日、未曽有の災害、東日本大震災が発生しました。
首都圏は停電で、すべての信号機のランプがついていませんでした。
街はまったく明かりがなく、コンビニも閉まったままでした。
そんな中フロントガラスが粉々に割れた車に乗って、
店内が真っ暗なディーラーさんに車の修理のために
車を預けにいきました。
本当に私にとってはつらい記憶です。

 

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それから

後日、私が事故を起こした交差点を見ると
おかしの「ひよこ」みたいな形をした、おおきな石が
交差点のそばにありました。ちょうど被害者の方が倒れたあたりです。

きっとこの石が守ってくれたんだと思い、「石さん」と名前を付けて
その石の前を通るたびに、お礼を言いながらなでるようになりました。
つい先日も通りすがりになでていると、
パトカーに乗ってるおまわりさんに変な目で見られてしまいました。

交通事故は被害者も加害者も、そして両方の家族にとっても、
みんな不幸になってしまいます。
みなさんも取り返しのつかないことにならないように
ぜひ交通事故にはお気をつけください。

ふと思い出す

今日の昼休み横断歩道を渡っていると、
後ろから子供を乗せる2人乗り用の電動自転車に
ぶつけられました。

ちょうど左足のふくらはぎに当たって、
左足の靴が飛んでいきました。

自転車に乗ってた主婦のかたは、「すみません」と謝ってくれました。

わたしは「いいですよー」と笑顔で手を振って、その場を後にしました。

帰りに歩いているときにどうも、足が痛いなーと思ったら、
ふくらはぎ全体が打ち身であおーく変色して腫れあがっていました。

よくみたら、スーツのズボンもやぶれちゃってました。
このスーツけっこうお高めの…

うーん、よしとしよう。
そう思うと急に、被害者の方元気にされてるかなと思い出すのでした。

3月に入ってはじめての春の陽気の昼下がりの出来事でした。