今回のお話はめずらしく政治ネタから始まります。
最近お隣の国韓国との折り合いが良くないようです。
コスメや韓流アーティスト、韓流アイドルだけでなく、現在は日本のアイドルも韓国で活躍する時代です。
特に若い世代にとって見ると、おしゃれで憧れている人も多く、日本人なのに韓国語でTwitterをつぶやいているアカウントもあります。そのような世代にとってみると、おしゃれで物価が安い韓国に旅行に行くことが、日々のモチベーションとなっている人もいるほどです。
そんな世間を賑わす政治ネタの難しいことは、いつものようにわからないのですが、せっかく個人間交流が盛んな国なのに折り合いがよくないという、報道を聞いていく中で学んだ、
生活しにくい現代を主体的に生き抜くために必要なスキルについて、まとめておくだけの記事です。
他意はございませんので、誤解を呼ぶようなへんな記載がありましたら、心よりお詫び致します。
すべてに中立
まず、わたしの姿勢というか、信条から説明させてください。
新卒の時にすべてに置いて中立であることを徹底的に教育されましたので、全てにおいて中立の立場です。中立というと、中道とかリベラルな思想を持っているのか、と誤解されるかもしれませんが、政治的信条はなくすべてにおいて本当に中立という意味です。
しいて言うと思想的なものは、かえるがお思想とでも言った方が的確なのかもしれません。政治的信条や思想、ちまたの多数派の意見ではなく、自分の考えや捉え方で行動することが多いです。
国籍ではなく一個人の問題
韓国の人に対しても、同じように考えています。
学生の頃、毎日一緒に練習してきたチームメイトが、韓国籍というだけで大会に出場できなかったことに、みんなで怒ったこともありました。チームメイトの家で食べさせてもらったキムチがとてもおいしくて、今も忘れられません。その後チームメイトは国籍制限がない、ゴルフの世界へと進みました。
前職では、数カ国語が堪能な才女も、有名な梨花女子大を卒業した韓国籍の人でした。出版部署のトップだったお偉いさんが、再雇用でうちの部署に来たときに、上司の指示をまにうけて、コピーをたくさん使うなといつも怒っていました。
年配でアナログ体質の元お偉いさんに、コピーを使うなというのはあまりにも酷です。そんなことで口論になる2人の間に入って、毎日なぜかわたしが仲裁をしていました。
かなりの才女なのですが、日本で今でも大切にされる、礼儀とか義理人情というものよりも、頭脳明晰な分だけドライに論理的な考え方をする人でした。
そういえばあの人、ずいぶん前にクレーマーさんに差別する発言で責められて、泣いていたなぁ。
彼女に変わってクレーマーさんの前に出て行ったわたしは、こんなことを言いました。
彼女は確かに韓国籍かもしれませんが、発音も正しい完璧な日本語も話せるし、日本が好きで就職しているので、わたしは信頼しているんですよ。お客様のことが心配で出過ぎたことを言ってしまったかもしれませんが、国籍にかかわらず心配している気持ちは同じです。
われながら、かっこいい言葉をいいましたねー。クレームを収束させた後、そういえば彼女から助けてもらったお礼の言葉はありませんでしたが…。まぁそんな細かいことは置いておいて、
国籍による違いにより、ある程度の傾向性はあるとしても、個人の行動を決定づけるのはそれぞれ個人の人格による違いではないかと思います。
それにしても、女性を彼女とか後輩を○○くんとかいう表現方法がえらそーで、あんまりすきじゃないんですよねぇ。なかなかぎこちなさが漂う文章でございます。
きっかけ
わたしが今回の日本と韓国間の問題で、あれ?おかしいなと思いはじめたきっかけがありました。
それは、日本が韓国を旧ホワイト国、現在グループAの特別の優遇を受けるグループから、優遇を受けるグループであるグループBに引き下げた問題で、韓国側は一貫して撤回を求めていることです。
撤回を求める、というのがぴんとこなかったのです。
確かに徴用工での合意を、国際法を無視して国内の最高裁の決定を指示する韓国政府が話題の時期に、徴用工問題の報復ではないかと誤解されやすいタイミングで、ホワイト国からはずしたことは、日本側にも誤解される要因はあったと思います。
本当は、徴用工訴訟での国際法違反をきっかけに、日本の政権としては堪忍袋の緒が切れたというタイミングだったとは思うんですどね。
このグループAの最高特権を与える国から、特権を与える国のグループBに変更した措置を撤回しろという論理が、正直疑問です。
グループを決めるのは自国の貿易として、自治国家である以上、日本が決めなければならないことです。優遇の程度が違うだけで、自由貿易とは全く別の問題です。
他の国には関係ない日本が決めるべき問題を、他の国が撤回しろというのは、ちょっと筋が通らないように思えました。
同じように、韓国が日本をホワイト国から除外したときに、日本のメディアやコメンテーターなど、個人的に撤回しろという意見はまったく聞くことはありませんでした。
追記
ぴんとこなかった理由がわかりました。
撤回するは他動詞だったんですね。日本が決めることを他の国が、他動詞でこうやれというのが、日常のコミュニケーションではまずないです。もしあるとしたら、上司と部下、親と子どものような関係だったりします。
理由を示して、考え直してもらえませんか?撤回してもらえませんか?とお願いするのが、相手の立場に立った日常のコミュニケーションだということに気づきました。
韓国での報道
そこでわたしは日本人ですので、中立の立場でこの問題を考えるには、韓国側の報道もしっかりと確認したいと思うようになりました。たまたまいつも読んでるニュースサイトにリンクが貼ってあった中央日報というサイトの記事を約1ヶ月ほど読ませてもらいました。
中央日報とは保守系の韓国の新聞です。Wikipediaの情報によると保守系でも若干中道よりだそうです。日本語に翻訳されたWebが存在するので、日本人でもちゃんと読めます。
このサイトの記事を読ませてもらってきましたが、中央日報が表現するところの韓日葛藤は、ほぼすべて日本は貿易優遇措置の決定を撤回すべきとの論調で、日本は戦争についての反省をしていない戦犯国という扱いを貫いています。
例えば光復節、日本でいうところの終戦記念日の報道がとてもわかりやすいんですが、文大統領が日本と手をつないで行かなければいけない趣旨の発言をしたことを、日本ではトーンダウンと表現し、韓国では今度は日本の安倍首相が応える番と社説が書かれています。
注目は日本の終戦記念式典である、全国戦没者追悼式がどのように報道されているかです。
戦後70年以上たち、当時の開戦するまでの責任者がだれもしなくなった状況で、戦犯国日本から謝罪がないという言葉が頻繁に出てくる新聞に、天皇陛下の「深い反省」、首相の「戦争の惨禍を二度と繰り返さない」と発言された、終戦記念日の報道はまったく
みかけませんでした。
※追記
よく見たらありました。トップに上がってこなかっただけだったようです。ただしその論調は言葉を素直に受け取ったものではありませんでした…
日本では終戦の日が、二度と戦争を起こしてはいけない日として、多くの国民が胸を痛め、決意を新たにするという、という日本では当たり前の事実を報道する記事も、残念ながら見かけることはありませんでした。
情報を得ると言うこと
中央日報が繰り返し求めてきた、日本の深い反省も謝罪の気持ちも、なぜかきちんと韓国国内では報道されません。
また、韓国での抗日デモや日本製品の不買運動を見ても、おかしな点があります。
非常に大規模なデモにもかかわらず、参加者はみな同じプラカードを持っています。
普通日本でもたまに見かけるデモだけでなく、国外のデモでも参加する場合には、それぞれ参加者が自分の意見を示すためのプラカードを準備します。デモでは基本的に自作のプラーカードが多く、これだけ同じプラカードを持ったデモ隊を見たことがありません。
同じプラカードを持った群衆を見るのは、膨大な資金が投入されるアメリカの大統領選挙くらいです。
このことから、個人だけでなく、企業も多く参加するような非常に大規模なデモ参加者すべてに、プラカードを作って金銭的にも思想的にもサポートしている、非常に大きい組織があることがわかります。
相当数の個人だけでなく、多くの企業でもサポートできる、非常に大きい組織です。個人的には、きっとあの組織だと思っているのですが、状況証拠だけで確証があるわけではありませんので、ここでは名言は避けたいと思います。
韓国のベストセラー
現在韓国ではソウル大学名誉教授の李栄薫さんらが書かれた著書『反日種族主義』が、1万部を売り上げればベストセラーの韓国出版界で、3万部を超えるベストセラーになっているそうです。
その注目の内容は、反日種族主義(反日民族主義の意味)の嘘や、その危険性を解説した本だそうです。
例えば日本、韓国の間でなかなか解決できない徴用工の問題については、以下の記載があります。
【1】徴用工の賃金は正常に支払われた。【2】労働者には自由があった。【3】お金も自由に使えた。
出典
どうもこの書籍には、徴用工は当時の出稼ぎ労働者のように、物価が高かった日本に出かけて働き、韓国で待つ家族のために仕送りをしていたという記述もあります。
徴用工の問題もそして慰安婦問題も、どうやら韓国での教科書に記載されて学んだ、誰でも当たり前と思われている韓国内の一般常識とは、異なったところに真実がありそうです。
好むと好まざるとに関わらず、義務教育で抗日を学習し、誰かが意図してプラカードも配布されたデモに参加しているという、韓国の国民のみなさんの真実が見えてきたように思います。
その常識を真っ向から否定しているこの書籍がベストセラーになっているということは、当然と思っていた常識が本当かどうか調べたり、確かめようとしている韓国の国民の方が一定数存在するという意味でもあります。
しかしながら、日本の謝罪もきちんど報道されないのが韓国の実情と言えるでしょう。
日本での情報による被害事例
では、日本ではどうでしょうか。当たり前のように与えられた情報がひとり歩きしてしまい、個人の行動も変えさせてしまうようなことはないのでしょうか。
この点において韓国同様に日本も、国家の枠にとらわれずに注意が必要だと思います。
それは、みんなに合わせて目立とうとしない控えめな国民性が、日本の特色の一つとして存在するからです。
もしずっと信じていた常識とも言える知識が真実でなかったらと思うと、ぞっとします。
最近も茨城でのあおり運転の事件の際に、SNSで公開した画像で身につけていた帽子やサングラスや服装が、同乗者が身についていたものと似ていたため、ネット上で名前を晒されバッシングの被害に遭われるという事件が発生しました。
この事件に関して各メディアは、デマを流した人や、拡散した人を代理人である弁護士が法的措置をとることを報道しています。
各メディアはデマという表現を使っていますが、本当にデマなんでしょうか。
最初に流した人は「似ているな」という感覚で、事実として確定していなかったつぶやきに、それがまるで伝言ゲームのように伝わるうちに、拡散した人が、まことしやかに真実と思い込んでしまったことが、現実に即したこの事件の背景なのかもしれません。
Teitter、Instagram、facebookなどの誰でも自由に発言できる現在、その発言自体が本来とはまったく違う意図で拡散されるリスクが、誰にでもいつもつきまとっているという、現代の紛れもなく怖い現実を感じました。
本当は拡散する人が拡散する前に、感情論ではなく論理的に少しでも検証しようとすることだけで、不幸な二次被害者を出すこともなかったことでしょう。
現代社会で主体的に生き抜くために必要な能力
韓国内で国家単位で流されている情報が、どうも真実ばかりかどうか疑わしいこと、そして日本でもSNSで真実と異なることが拡散され、実際に被害にあわれている方が存在することを、振り返ってきました。
文部科学省は新指導要領の中で、教育機関で注力して育てていく必要があることとして、自分で主体的に生き抜く力「生きる力」という従来の言葉から「アクティブラーニング」とより一歩踏み込んで示しました。
では、具体的にどのように、主体的に生き抜く力、アクティブラーニングの能力を培っていけばよいのでしょうか。
これが、現代の情報化社会の中で、自分から主体的に生きていくためには、必要不可欠な能力のように個人的には感じます。
SNSで誰もが情報を発信することができますし、好むと好まざるとに関わらず非常に大量の情報が、日々拡散され続けています。
またスマホの普及によりWebでの見解や、周りの人の意見に簡単に触れることができ、周りの人とのコミュニケーションもより煩雑になりました。
冷静になってよくよく考えてみると、ちまたには本当かどうかわからない情報が溢れています。
例えばYahoo!JapanやMSNにも配信されるあるニュースサイトは、乃木坂46のことがお好きなようで、メンバーに対する事実ではないニュースを、最大手のサイトに配信され続けてきました。
いや、今も配信され続けています。
その都度このブログでも、検証して反論させていただきました。
このうがった見方での報道は、最大手のWebページにて報道され、事実とは異なることで、人知れず傷つかれた被害者の方もきっとたくさん存在することでしょう。本当に残念でなりません。
何もしなくても、非常に多くの情報のシャワーにさらされるこのご時勢ですので、
どの情報が自分にとって必要な情報なのか取捨選択をして、ニュースサイトや親しい人からもたらされた情報であっても、自分でその情報について一旦立ち止まり、取り入れるべきかどうかを考えることが、一番大切なような気がします。
情報をそのまま信じるのではなく、その情報について自分で考えて、あるいは疑問に思ったら検証して、情報を取捨選択して正しい情報を活用しながら、生活をよりよいものにする
これが、情報が溢れている現代に、噂やデマに惑わされず、ありのままの自分として、自分らしく生きていくために、一番必要な能力ではないかと思いました。
情報は有益な情報も多いです。有益な情報を自分の運命を切り開く、生活を豊かにする道具として活用し、自分の人生を彩り豊かにしていくことが、アクティブラーニングの真の意味でもあります。
今回紹介した事例から、情報を取捨選択をしたうえで、誰の見解でもなく自分で考えた自分の意見を持つことは、情報を活用しながら生活するためには、一番重要なことだと感じました。
まとめ
今回の記事は、情報を取捨選択して、自分で考えて、生活に活用していくことで、日常生活を、自分らしく主体的に過ごせるようになると思って書いただけで、他意はまったくありません。
個人的に政治的な信条信念もありませんし、韓国に対する特別な思いや、右とか左とかリベラルとかいうこともまったくありません。
もし、それぞれの立場で、不快に感じられるような記載がありましたら、謹んでお詫び致します。他意はまったくございません。
特に政治的な話題はとっても苦手なので、今後頻繁に本ブログに出てくることもありません。できれば政治的なコメントも、どう答えたらよいのか対処に苦しみますので、避けてもらえるとうれしいです。
以上、ぜんぜんわかんないのに、えらそーに政治を語ってみたの巻、これにておしまいです。