こん○○は、かえるがおです。
今回は過去2回にわたって、記事の中で触れてきたストレスとの、上手な付き合い方についての最終回です。
過去2回は自分に起こることへの考え方を変えて、気持ちを楽にしようという方法でしたが、今回はそもそものストレスの原因は自分にあるんじゃないかと、自分でストレスを生み出してしまっている場合についてまとめてみたいと思います。
特に自分になぜか自身が持てない人や、自己評価が低い人、ほかの人から承認されたいという思いが強いと思う人は、是非読んでいただき、日ごろの学校や、職場、プライベートの人間関係に簡単に生かしてほしいと思います。
実は、わたしもこれまで自分でストレスを生み出して失敗をしてきたので、今回のまとめ記事は自分の失敗例を示しながら、わかりやすくまとめてみたいと思います。
家族からの評価と周りの人からの評価
まずは、以前勤務先でとったことがあるわたしについてのアンケートを思い切って公開したいと思います。
アンケートなので悪いことを書きにくいので、よい評価が並んでるということは付け加えておきます。こんないい人ではありません。
・仕事が早い、仕事ができる
・気が利いている
・同時にたくさんの仕事ができる
・困っているとすぐに助けてくれる
・どんなことでも質問すると答えてくれる
※いくら何でもほめすぎです。くれぐれもこんなんじゃありません。
次はうちの家族から見たわたしの評価です。両親と姉に協力してもらいました。
・のんき、のんびり、内気
・おとなしい
・追い込まれるまで何もしない
・動作が遅い、とろい
・気が小さい、意地がない
・頭が悪い
出るわ出るわ、1つも誉め言葉がありません。もっともっと同様の悪口が並びますが、以下省略させていただきます。
評価のギャップ
はい、ではここで問題です。
まるで真逆の評価が並びましたが、どちらが本当のわたしだと思いますか?また、わたしは二重人格なのでしょうか?
答えは両方まぎれもなく自分自身です。二重人格でもありません。
同じ職場の人からの見える自分の性格を社会的パーソナリティ、家族が見る自分の性格を先天的パーソナリティという言葉で今回は使い分けたいと思います。
この言葉はもちろん造語です。性格とか人格とか個性とかほかの意味も含んだ言葉だと
正しく伝わらないこともあるため作っただけで、大した意味はありません。
どちらも自分自身なのに、なぜ性格が真逆に見えてしまうかという問題を説明するのに便利な言葉が社会性です。
社会性の生き物
人間は社会性の生き物と言われています。
家で自分だけでいるときや家族と一緒にいるときは、生まれ持った自分でいることができますが、学校や会社に行くと大勢の人の社会に入って、そのルールの中で生活しなければいけなくなります。
家の時と全く同じようにしているわけにはいかず、自宅から出かける瞬間に、ある種の社会性という鎧をまとってでかける方もきっと多いことでしょう。
評価のギャップの正体
わたしの場合は家族の評価の方がまぎれもなく、自分でもしっくりする自分自身の性格を表していると思います。
では、勤務先で評価される人格の正体は一体何なんでしょうか?
わたしの場合、本当の性格先天的パーソナリティをもとに、社会性の鎧を身にまとい、がんばってスイッチを入れて演じている自分が、勤務先での人格、社会的パーソナリティーであることに気づきました。
社会的パーソナリティーは、先天的パーソナリティーにスイッチを入れてターボ、ブーストされた状態
そのため、社会的パーソナリティもまぎれもなく自分自身なのです。
承認欲求バブル
わたしの場合はかなり重症で、先天的パーソナリティーと社会的パーソナリティのギャップが極端に開いた状態にまで達してしまいました。
仕組みはこんな感じです。
・少しがんばったら、周りの人に認められた
・さらに頑張って、周りの人に認められようとする
・さらに認められるために、まわりの人に合わせる
・もっと認められるために、まわりの人の顔色をうかがう
・頑張ってる自分を基準にして、さらに認められようとしてさらに頑張る
・限界が近づくが、それでも頑張る
こういう仕組みを通して、先天的パーソナリティと社会的パーソナリティのギャップが、びっくりするほど開いてしまったのがわたしの場合でした。
この仕組みを紐解くカギは、認められたいという承認欲求です。
人間は社会性の生き物でひとりで生きていくことはできないため、年齢に限らず認められたいという欲求を持つことは、別に悪いことではありません。
問題は承認されているのが、どちらの自分なのかにあります。
ターボスイッチを入れた社会的パーソナリティの方をほめられても、もともとの自分にスイッチを入れて頑張ってる自分のため、自分自身が認められたという気持ちを感じることができません。
本当の自分でない飾った自分をほめられても、結果的に心に響かないのです。
でも、ほめられないよりはましだから、少しでもほめられよう、認められようとさらに頑張ります。さらにもっと頑張って認められても、本当の自分を認められていないので、やっぱり心の中はさびしいままでした。
それを繰り返していくうちに、周りの人は頑張ってターボスイッチが入った状態のその人を、普通のその人だと思い込んでしまいます。
ますます周りの人にほめたり認められたりするハードルが高くなり、それを超えようとますますスイッチを入れて、アクセルをフルスロットルで頑張るという悪循環でした。
これを承認欲求バブルと表現してみたいと思います。
本当の自分に対する評価の実態は全くないのに、承認されたいという欲求だけがどんどん肥大化して、飾った自分を演じ続けている状態です。
ターボスイッチの燃料が枯渇したら
ゲームや車、ロケットでもターボやブーストするためには燃料が必要です。
これはわたしの実体験なのですが、先天的パーソナリティの状態からスイッチを入れて、社会的パーソナリティの状態にターボブーストするための燃料は、体力と精神力でした。
体力と精神力を使い果たして、勤務先から自宅に帰るとへとへとに疲れていて、すぐに横になってしまったり、もう何もする体力も残っていない状態でした。
水曜日の午前中くらいの段階で1週間分の体力と精神力を使い果たし、あとは土日にゆっくり寝るということだけを目標になんとか1週間を乗り切り、土日は食べるとき以外はずーっと睡眠時間にあてるという生活でした。
それだけ寝ても体力と精神力は復活することはできず次の1週間が始まってしまう。そんな日々を過ごしていました。
ずーっと無理して続けていけるわけがありませんので、わたしの場合はもともと身体が強い方ではないので先に体力が枯渇してしまい、身体を悪くして病気になってしまいました。
先に精神力が枯渇してしまった場合には、精神的な病気になっていてもおかしくない状態です。
もし今現に、無理をしてまで周りの人の期待に応えようとがんばっている人は、すぐにやめて本当の自分を取り戻してください。
無理に頑張ってても、その先に自分が思い描く未来は残念ながらありません。いつまでも力尽きるまで、さらに頑張り続けるしかありません。是非自分自身をいちばん大切にしてほしいと、自ら体験してきたわたしは思います。
自信がない本当の理由
わたしは自分にまったく自信がありません。かなり自己評価が低いと思います。
自身のなさの正体をこの記事では、本当の自分である先天的パーソナリティを誰にも認められていないからと結論づけてみたいと思います。
わたしの場合の先天的パーソナリティを知っているのは家族だけです。きっと友達にも社会性の鎧をまとった自分をつよがって見せていたと思います。
家族の評価は冒頭のとおりでまったくほめられていません。ということは、誰も自分をほめてくれる人がいないことになります。
承認欲求バブルがまちがった承認の成功体験で肥大化したことに比べて、本当の自分の正体は誰からもまったくほめられていないし、認められてもいないので、自分に自信を持つことができないのは当たり前です。
ちなみにわたしはおぢさんですが、結婚していません。それは2つの理由があるからです。
まだ自分は結婚できるような人格に育っていないため、結婚しても大切な人に迷惑をかけてしまう
また、奇跡的に自分を好きになってくれた人が現れても、本当の自分を知ったら確実に嫌われると思っている
そのため、まだまだ結婚できるまでは、自分が成長できていないと思っています。
たった1つの簡単な解決方法
わたしの場合は病気になったというきっかけがあったので、考え直すことができました。
まず最初に、自分の持って生まれた個性ともいえる先天的パーソナリティを大切にしようと思えるようになりました。ほかの人とは違う自分の唯一の武器ですからね。
自宅を出るときに社会性の鎧を身にまとうのをやめ、勤務先でもできる自分を演じるのをやめました。
自宅でも学校でも勤務先でも、本来の自分の先天的パーソナリティであり続けることで、ブースターのスイッチを押す必要もなければ、燃料も必要でなくなるので、毎日身体的に楽に過ごせるようになりました。
確かに今までのようにみんなに必要にされるとか、全員とよい関係を築けることはありません。
ただ、自然体の自分でいるので、自分と合わない人も当然出てくる分だけ、気が合う人ともっと深い絆で結ばれることになります。気が合わない人がいるのが当たり前ということに気が付いたのも自分としては驚きでした。
みんなと仲良くしないといけない、みんなから好かれたいと思い込んでたようです。
一番よかったことは、ほんのわずかですがちょっぴり自信めいたものが芽生えてきたことでした。
常に自分自身である先天的パーソナリティのままなので、その自分に対して周りの人が評価してくれる言葉が、自分でもよく理解できる分だけ心に響くようになりました。
まだ精神年齢で言ったらよちよち歩き程度なのかもしれませんが、今まで間違った社会的パーソナリティが肥大化していったように、先天的パーソナリティの方をじっくりこつこつ育てていったら、気持ちが楽になって自分でも自信がもてるようになるんじゃないかと実感できるようになりました。
本当の自分とのギャップによるストレスを生み出していたのは、自分自身だったということに気づいた瞬間でした。
まとめ
みんなに対してよい人を頑張って演じた結果、自分を苦しめていたことにようやく気が付いたおぢさんの例でしたが、いかがでしたでしょうか。
これまで外的要因のストレスの対処方法を2つ紹介ました。
1つはわたしの先生の言葉の「どうしようもできないことは見てみないふりをする」という対処方法です。
家族の老いや自分の年齢、未来への不安や、1週間先の気になることなどなど、一生懸命考えこんでもどうにならないことは、見てみないふりをして一旦置いといて、そして休日だったり遊園地だったり読書だったり、今の瞬間を楽しみましょうという考え方です。
不安なことはどうせ嫌でもじっくり考えなきゃいけない時がやってくるので、それまで見てみないふりををして今を楽しんだ方が、確かに余計なことを考える分のストレスを感じなくてもいいかもしれません。
2つ目は現実は白と黒の間にあるという考え方でした。
自分がこうありたいとか、掲げた理想と現実のギャップがストレスの原因になります。
現実とのギャップを小さくするには、物事は白黒決められるものではなくて、その中間に答えがあることを知ることが重要でした。
宝くじは当たらないと決めつけると、本当は当たるかもしれないわずかなチャンスを失うことになりますし、自分はモテないと決めつけると、地球外生命体がどこかに存在すると信じている人が多いように、数多くの異性の中であなたをどストライクと思っている人がいる可能性を否定してしまうことにもなります。
友達のあの行動が許せないと思う場合は、その行動に至った背景を考えると、その行動自体は悪いことだったとしても、共感できる部分もあるかもしれません。
決めつけてしまうと自分の考えと事実のギャップがストレスになってしまうという考え方でした。
今回ご紹介した、自分でストレスを作り出している方法と合わせて、この記事をきっかけに、自分のまわりの世界を少しでも過ごしやすい世界に変えてもらえると、恥ずかしい内容の記事を書いたかいがあり、おぢさんもうれしいです。
お互いがんばり過ぎるのはやめましょうね。
ってことで、今回のかえるがおはここまでです。