続・今日もやっぱりかえる顔

なぜか巻き起こってしまうまぬけな日常を、ひらがな中心のまぬけなテイストでお届けします。ときどき乃木坂46。

人生の分かれ道に思うこと-チャンスを見逃さない決断をするとき-

実はこの記事ですが、ちょうど2年前に書いて、公開することなくつつがなくボツにした記事です。

ここに書いてあるのは、当時の会社に勤めつつ、夢だった職業の採用試験を受けている様子です。

結果はご想像のとおりもちろん不合格。面接試験で担当の女性に、「なぜここにきたの!」「一度やめたのに来る必要ないでしょ」と叱責され、面接試験の結果がたったの20点という笑える結果でございました。

 
なぜこの記事をいまさら公開するのかといいますと、確かに合格して夢だった職業に就きましたよという話ではありませんが、不合格だったとしてもやっぱり、この時の出来事が、自分の人生の分岐点だったと思うからです。

不合格だったわたしは、次の年会社を辞めて臨時任用として夢だった職業に戻ってくることにつながります。

幸せのカタチはみんな異なります。

お金が一番重要だと思っている人も多いです。やりがいをもつことと思っている人もいるでしょう。友達や子ども、家族に囲まれていることと思っている人もいるでしょう。

この記事は、自分の幸せのカタチを見つけるべく、環境に翻弄されながら一歩ずつ歩きだしたひとりのまぬけなやつの失敗した記録でしかありませんが、自分の幸せのカタチに迷っているひとの勇気につながればいいなと思って、思い切って公開させていただきます。

よかったら、最後までお楽しみください。いつものように長いですけどねー。

 

 

 




こん○○は、かえるがおです。

 

現在、人生の岐路にいます。きっと後で振り返って、
「この時の決断が人生の節目だったんだ」って思うことになるでしょう。

できれば、この岐路に立たされた時に考えて達した思いを記事に残し、今後同じように人生の岐路に立たされた方にとって、少しでも参考にできる記事になればと思っています。

 

安定した日々を送る

一度は幼い頃から夢見ていた職業に就いたのですが、残念ながら途中でやめることになってしまいました。このへんのやめるきっかけもいつか書けるといいのですが、もちろん主体的にやめたわけではありません。


その後、現在の会社に入り今に至ります。

今の会社にいれば、これから先のことはある程度計算できて、給料はいくらくらいで、定年まで働けばいくらくらいもらえるだろうという、将来を見据えることができます。

 

仕事の内容もきっと今の内容と変わらない何でも屋として、細かいことに気持ちをやきもきさせながら、毎日目の前の仕事をこなしていくことでしょう。

 

すごく充実している毎日を送っているわけではないですが、ある程度計算できる平穏、安定という言葉がぴったりの日常を送ることができます。

 

きっかけ

この安定した変わり映えのしない日常を送ってきた私にとって、これまでの人生で、最大の心残りは、夢だった職業を途中でやめてしまったことでした。


すっかりその時の記憶も、やめてしまったことすら忘れていたのですが、急に現実に引き戻される出来事がありました。

 

以前の職業で同期だった仲間から、急にLINEが来ました。
○○先生ってかえるがおの恩師の先生だよね?亡くなったって、回覧に書いてあったよ。

 

「え、…」

 

恩師の先生の急な訃報に触れ、考えることをまるで放棄したかのように、頭の中が真っ白になってしまいました。

 

この先生はある分野で全国的な学会の会長を務められた有名な方でした。
海外でもデュッセルドルフの日本人コミュニティの代表を務められ、退任後に様々な大学の客員教授をされていました。


わたしの普通とちがうへんちくりんな発想を、「ん、いい考えしてる」と口癖のように褒めてもらいました。きっと本当は大したことなかったと思うんですが、考え方や発想がおもしろいと言われて、当時はとってもうれしかったものです。

この言葉がなかったら、ほかのひとと違う自分の変わった考えに、引っ込み思案なままで、ブログを書いて感じたことを文字に残すことなんて、絶対にやっていなかったことでしょう。


たまたま親類の大学時代の教え子で、同郷出身と言うだけでとってもよくしていただき、貧乏学生だったわたしをしょっちゅう自由が丘のご自宅に招待していただいて、浜名湖のうなぎや美登利寿司など、食べたこともないような高級なものを、ごちそうしてもらいました。

 

学会においても学生でまったくわからない素人の私を毎回つれて行ってくれて、まったく知識がない素人に、当時の最高の教育を施してくれたことから、表現はとても語弊があるとは思うのですが、本気で龍馬を育てた勝海舟のような先生だと思っていました。

自分の研究分野で講師として何度か来ていただいたのが、今思えば最後だったと思います。以前の職業をやめることになって以来、先生に申し訳なくて顔向けできませんでした。

 

消えていなかった夢への思いに気づく

先生の訃報を聞いていてもたってもいられなくなって、すぐに先生の自由が丘のご自宅に向かいました。先生はいなくても、お参りだけでもさせてもらおうと思ったのです。

 

先生の家へ向かう途中も、まったく何も考えることができず、淡々と時が過ぎるだけでした。

先生の家へついてチャイムを鳴らし、「かえるです」と言っただけで、先生の奥さんが出てきてくださり
「かえるくん、おそかったね」と声をかけられました。

 

その言葉で、緊張の糸が切れたかのように涙がとめどなく流れ、仏壇の前で長い時間涙を流し続けました。

まぁ、こんなに人前で泣いたことがなかったので、今考えればとっても恥ずかしいのですが、奥さんは泣いている間中ずっと黙って待っててくださいました。

 

晩年の先生は認知症を患われても、わたしは田舎に帰ってないだろうか、まだ東京に住んでいるんだろうかと
心配されていたそうです。近くに住んでるんだったら、1度来てくれればよかったのに、との言葉が
胸に詰まりました。

 

正直、私は20代まで何があってもまったく涙がでることはありませんでした。悲しいことやつらいことがあっても、なぜかその出来事に見舞われている自分を、客観的に第三者の視点で見えてしまい、どんなことが起こったとしても、涙がでることはありませんでした。それだけ冷たい男だったのかもしれません。


でも、今回なぜ恥ずかしくなるくらいに、涙を流し続けたのかと考えるとやっぱりある思いがありました。

「夢だった職業へ導いてもらったのに、途中でやめることになって申し訳ない」という思いだったことに気づいたのです。


先生の思いを受け継ぐため、そして最先端の教育を受けさせてもらったことを生かすため、もう一度採用のための試験を受けようと
決意しました。

 

厳しい現実

現在は年齢制限が撤廃されているため、試験を受けることはできても、自分が採用された当時と比べて関連法規も変わっているし、試験のために集中して勉強できる就職浪人の方々や現役大学生と比べると、若さや環境など圧倒的に不利です。

一説によるとわたしの年代の合格率は0.6%だという指標も出されています。
難関であっても、なぜか気持ちが切れることなく、8月の2次試験までなんとか残ることができました。

そして今週、最終合格発表があります。

 

人生の節目

きっと後で振り返って、「この時の決断が人生の節目だったんだ」って思うことになるでしょう。

 

結果を待つだけなので、これから努力のしようがないのですが、なぜかとっても緊張しています。


確かに2次試験の1つ面接試験では、面接官の方の気持ちを最後までつかむことができず、かなり悪い評価を受けたことと思います。


また、一度やめた人をもう一度採用するより、未来ある新卒の学生を採用したほうがいいと、私が採用する場合でも思います。
そして同年代の合格率は0.6%と冷静に考えれば考えるほど、よくない結果が容易に想像できます。

でも、このかつて経験したことのないような緊張感はなんでしょう?


もっと俯瞰してみると、最先端の教育を受けさせてもらった大学時代、理想の仕事ができなかった最初の仕事の時代、転職してから意外な道が開いた現在の仕事、そして病気をして思うように動けなかった時代、そして何でも屋として仕事の内容も未来も安定しているけど。便利に使われているだけで、なんだか充実感がない現在…

 

この大きな流れを考えてみると、やっぱり奇跡的に合格するのではないかと思うのです。そして、今後の自分に課せられた責任の重さに震えているのがいまではないかと思うのです。

 

大きな流れが未来を変える

これまでの生活を振り返ってみても、自分でああなりたい、こうなりたいと思っても、希望のとおりにうまくいくことはほとんどありません。

それは運命の流れの中で、自分の役割としてそのことを求められていなかったり、うまくいくことで自分の今後の役割の妨げになるからかもしれません。

人生とは、そう簡単にうまくいくものではありません。これまでの生活でそのことを何度も何度も体感してきました。

すぐにほかの人と比べて、「いいなぁー、いいなぁー」と思いながら過ごしてきたこれまでの人生でした。

でも、なぜかわかりませんが、今回は奇跡的にうまくいくような気がするのです。

遅かったけれどもいよいよ自分が必要とされている、夢だった世界へ羽ばたくときが来たと、告げているような気がするのです。

きっと合格発表までのこの1週間は、緊張緊張の連続でしょう。

でも合格発表まで緊張できるのも、大学で単位を取り直して0から勉強して1次試験を合格したからこそ得ることができた緊張ができる資格です。こんな気持ちになれるのも長い人生でそう何回もないと思うと、この何度も経験することがないこの気持ちを、楽しもうと思うようになりました。


人生は思い通りになりません。

ただ、びっくりするような奇跡が起こるのもまた確かです。

その時に思ってほしいのです。その奇跡にはきっと意味があって、自分が求められている場所があるんだと…

わたしのようにその時が来るのが遅い人もいると思います。
きっと必ずその時がやってくると思います。その時がやってくるまでくさらずまじめに、そのチャンスがやってきたときに見逃すことがないように、チャンスをつかむ資格を失っていないように頑張ってください。

びっくりするほど運がわるかったかえるがおですが、心からそう思います。
あと1週間。

2019/07/15追記
この記事ですが、自分のかんちがいのはなはだしさに、恥ずかしくて耐えられなくなったら、またお倉入りフォルダに戻させていただきますね。