続・今日もやっぱりかえる顔

なぜか巻き起こってしまうまぬけな日常を、ひらがな中心のまぬけなテイストでお届けします。ときどき乃木坂46。

齋藤飛鳥主演映画『あの頃、君を追いかけた』は素晴らしい作品だった

乃木坂46齋藤飛鳥さんがヒロインを演じた映画『あの頃、君を追いかけた』が、ついに公開されました。

台湾での撮影から1年がたち、期待する声が多かった話題作がついに公開です。
映画の公開にあたって、主演の山田裕貴さんは多くのテレビ番組に出演され、飛鳥ちゃんはたくさんの雑誌を飾り話題となりました。

また、ファンとしては舞台挨拶の様子を伝えるWebニュースの中で、飛鳥ちゃんがどんな衣装で登場したのかも、ファンの間ではとても注目されていました。

本作は素晴らしい作品でしたので、その楽しみ方、解釈の仕方、そして受け取り方は、ファンの数だけそれぞれ違うとは思うのですが、かえるがおという1ファンが感じた、映画『あの頃、君を追いかけた』という作品のすばらしさの魅力を、今回はまとめてみたいと思います。

齋藤飛鳥主演映画『あの頃、君を追いかけた』は素晴らしい作品だった

出典:映画『あの頃、君を追いかけた』

 

 

感情移入してしまう作品

 

乃木坂で不遇の時代から応援しているファンにとっては、飛鳥ちゃんがヒロインで出演している映画と言っても、これまでの活動の過程の飛鳥ちゃんのイメージの方が強く、なかなか映画の世界観に集中できないファンの方もいるのかもしれません。

わたしもどちらかというと作品というよりも、乃木坂以外の環境で飛鳥ちゃんが頑張って活躍している様子を見に行ったひとりでした。

ただ、その思いは映画を見ているうちに失われていきました。

最初は齋藤飛鳥という存在を見ていたのが、徐々に徐々に映画の世界観に引き込まれてしまい、すでに中盤ではよく知っている飛鳥ちゃんというよりも、演じている早瀬真愛としてスクリーンを見つめていました。

と、いうより山田さん演じる水島浩介に思い入れが強く、一緒に追いかけているような不思議な感覚に包まれました。

 

山田裕貴 あの頃、君を追いかけた 


女性のファンであれば、飛鳥ちゃん演じる真愛の恋愛に対する向き合い方や、浩介を追いかけている心情に感情移入できるのではないかと思います。

作品が終わったころには思い入れが強すぎて、ぐったりしてしまうくらいでした。

エンドロールが流れても、そして映画館内が明るくなってもしばらく誰一人席を立たなかったことからも、本作品は人々の感情移入思い入れを呼んだ作品だったのではないかと思います。

 

キャスティングの妙

では、なぜこれだけ感情移入をしてしまうのかを考えてみると、2つの要因があったのではないかと思います。

1つ目はキャスティングです。


男性にとってというよりも、わたし個人にとってなのかもしれませんが、主演の水島浩介を演じる山田さんのキャスティングが、感情移入できる理由の1つだったと思います。

あの頃、君を追いかけた 山田裕貴


たくさんの映画作品に出演され、今を時めくイケメンの山田さんなのですが、テレビ番組で見る限り発言がおもしろく、ガンダムのアムロ・レイのまねをされたり、人気者でイケメンなのにまーったくお高くとまっているところがありません。
ひとあたりがとってもよい方のように見えます。

また、映画の中の水島浩介も、自宅でははだかで過ごすとか、格闘技にはまってしまうとか、帰りに買い食いをするとか、男子ならではのユニークなキャラクターで、まぬけ好きなわたしとしては、そのユニークさに共通点を感じてしまい、とても感情移入しやすい要因となりました。山田さんみたいにイケメンではありませんが…がっくしっと。

山田裕貴 水島浩介


トップアイドル乃木坂のエース飛鳥ちゃんの相手役のキャスティングは、影響も大きく大変だったとは思いますが、ストーリーが進むたびに、つくづくキャスティングのよさを、思いしらされることになっていくのです。

 

女優齋藤飛鳥の演技

感情移入できる2つ目のポイントとして、飛鳥ちゃんの演技をあげたいと思います。

演技経験もないのに、演技がすばらしいというのはおこがましいのですが、スクリーンに映っている飛鳥ちゃんは、飛鳥ちゃんでありながら1秒も齋藤飛鳥感がなく、そこに映っているのはまさしく早瀬真愛の姿でした。


よく見る飛鳥ちゃんよりナチュラルメイクで、そしてなぜか儚く、悲しい結末をすべて知っているかのような遠くを見つめる瞳。本当に実在しているのかを疑ってしまうかのような存在感でした。

いつもの笑顔もなければ、いぢっぱりな飛鳥節もありません。


記憶の中に何年も生き続けている青春の1ページの女の子のように儚く、そしてメイクが薄くても、美しくきれいな真愛の姿でした。

以前飛鳥ちゃんのボーカリストとしての資質を、雰囲気で歌い上げる『感銘型ボーカリスト』と評したことがありました。本作の中の飛鳥ちゃんもまさにその通りでした。


大げさな演技もなく、たんたんとつぶやく言葉、立ち振る舞いの雰囲気の中に、儚さとそしてベースに浩介を思うやさしさが流れていて、見ている人それぞれに感じ方を委ねる、直接的ではなくとも確実に心を揺り動かされる演技でした。

「現実と夢の狭間」を存在の雰囲気で伝える、すばらしい演技だったと個人的には思います。

パラレルワールド

雨が降る中、分かり合えないふたりが別れを迎えるシーンでは、走り去った浩介を見つめる飛鳥ちゃん演じる真愛の横顔が、スクリーンに映し出されました。

 


メイクをしていないんじゃないかと思わせるような横顔に、そして白く透き通った肌が印象的な首筋。ついさっきまで浩介を見ていたはずの瞳は、もう焦点が合わなくなった走り去った方向を見つめているだけ…

このシーンに映る真愛がとっても美しく、とてもきれいで、思わず心を奪われてしまいました。

齋藤飛鳥 早瀬真愛


「こんなきれいな人がいるんだ」


そう心の中でつぶやいた瞬間
映画を見ていたはずのわたしの意識は、数十年前わたしが20歳だった頃に、急に飛ばされてしまっていました。

追体験

そう、「こんなきれいな人がいるんだ」
と、思ったことが、過去に1度だけありました。

20歳のわたしは、結婚式場のアルバイトをしていたのですが、結婚式でナンパしているチャラい男に腹を立て、その人が着ている「いっちょうら」にビールをぶっかけて、くびになってしまいました。

くびになってしまったので、教員になるために上京したんだから、じゃあそのへんの補習塾の講師でもやろうか、と軽い気持ちで派遣会社に登録し、補習塾の講師になりました。

塾の講師をはじめて、最初の授業のときのことでした。

教室に入ると驚きました。肌が白くて大きな瞳の美しい女の子がいたのです。その壁側から2列目の一番後ろに座っている女の子を見て、わたしは思いました。


「こんなきれいな人がいるんだ」と。

もちろん飛鳥ちゃんに比べれば、ぜんぜんきれいではないのですが、そのときのわたしの感性では、そう見えたのです。

年齢は近くても塾講師と生徒なので、自分の中に芽生えつつある気持ちは抑えていたのですが、その補習塾をやめて、進学塾、予備校の講師へと勤務先が変わっても、なぜかその子との連絡が途切れることはありませんでした。

その子には夢があって、偏差値もぜんぜん足りてないのに、美術で有名な大学を目指していました。そして私と一緒に勉強した結果、どんどん成績が上がってついには目標の大学に合格することができました。


教える側のわたしの頭がいいはずがないので、その子が目標の大学に入りたいという願いと、わたしへの芽生え始めた少しの思いが、きっと後押ししただけなのかもしれません。

一緒に受験勉強する過程で、だんだんと2人の気持ちの距離も縮まってきていました。



彼女は決まって、当時やっていたわたしのバンドの歌を聞くたび、そしてわたしがギターを弾いてへたくそな歌を歌うたびに、彼女はその大きな瞳から涙を流すんですね。そして「歌声にすごく感情がこもってる…」と言っては、いつも泣いてくれました。

このことがきっかけとなって、いつのまにか2人は付き合い始めました。


わたしもほんとにまぬけなんでしょうねぇ。
付き合う以上はご両親にご挨拶に行かなければいけないと思って、彼女に話したのですが、彼女の返事はいつもNoでした。

そのうち彼女のうちまでバイクで送っていったりしていると、つきあっているんじゃないかという噂がご両親の耳にも入ってしまい、ごあいさつに行くよいきっかけになったと、自分の中では思っていました。


いやがる彼女を説得して、ご両親にご挨拶にいったところ、たいへん厳しいお父さんで、家に入れてもらうことさえできませんでした。


玄関に土下座をしてお願いしていると、柔道有段者のお父さんに投げられて玄関に打ち付けられ、そしてまた土下座をしてお願いするのくりかえしになってしまいました。

そのうちいつの間にか自分でもわからないのですが、涙を流しながら付き合わせてほしいとお願いし続け、帰れというお父さんの言葉に反して、どんなに投げられても、どんなに押さえつけられても、土下座をしてお願いし続けていました。

すると、お母さんが警察を呼ばれて、わたしはパトカーに乗せられて彼女の家から、連れていかれることになりました。


ご両親にしてみれば、どこのどいつかわからないへんな男が急にやってきたら、きっと感情的にもなると思うんですよねー。ましてや大切に育てた娘と付き合わせてくれなんて、なぜか泣きながら言われると、恐怖でしかなかったかと思います。

当時はとてもドライで全く涙を流すことがなかったのに、なぜかこのときだけ人前で号泣したんですよ。そんな自分でも意味がわからない涙を見て、彼女はこんな言葉をかけてくれました。

「かえるくん、やさしい涙をありがとう…」って

 

やさしくもなんともないわたしに向かって…


その後ご両親が反対したとしても、2人の思いはまるでロミオとジュリエットのように燃え上がり、帰る途中にたった10分の話しをするために、毎日往復3時間かけて会いに行きながら、交際を続けていました。


そんな中わたしのある行動に彼女は疑問を持ち始めます。

教員になるために大学に通っているはずなのに、進学塾や予備校の講師のバイトをしているので、半分夢がかなったように思えてきて、わたしはまーったく大学にいかなくなってしまったのです。

大学では田舎とは違う人との距離感に悩んでしまって、塾や予備校に行くと確実に自分を必要としてくれている人たちがいて、もうこれでいいんじゃないかと、安易な方向に流れていたんですね。

彼女はそんな甘い考えのわたしが理解できず、本当に何度も何度も真剣に説得してくれました。それでもわたしは自分に甘く、意地になりすぎてしまって考えを変えることができず、このことが原因で2人は別れることになりました。

当時その時のことを『さよならの向こう』という曲の中でこう綴っていました。

このままふたりでいると 幸せになれない
これから多くのことが 君を待っているから


彼女の本当の思いを理解しようともしないで…

あの頃、君を追いかけた 齋藤飛鳥

それからしばらくして、彼女の友達に呼ばれて話を聞かされました。
彼女が亡くなったことを…

身体が弱いことは知っていたのですが、もともと病気があって無理してわたしと付き合っていたそうでした。だからご両親はわたしとの交際に大反対だったんですね。

命に係わる病気を持っている彼女を、バイクの後ろに乗せて連れまわしていたわたしを、信用できるはずがありません。


それでも彼女はわたしの夢を一番に考えてくれて、大学に行くように一生懸命説得してくれました。そのすれ違いが別れにつながったと思っていましたが、きっと本当はもう彼女は自分の体力がもたないことを知っていたのかもしれません。


真相はわかりませんが、わたしが連れまわしたことが、彼女の死につながったことは、間違いありません。

わたしは 人殺しです…

 

思い


わたしがまだ20歳の頃の出来事でしたが、このことはずーっと心の中に蓋をして抱えてきたことでした。

スクリーンの飛鳥ちゃんの横顔を見ているうちに、いつの間にか当時の自分にトリップしてしまっていたようです。ふと気がつくと、わたしの顔は何十年分の抑えてきた感情が、ついに堰を切ったように溢れてきて、人前なのに涙でぐちゃぐちゃになっていました…

そして、やっと、ようやく長い時間を経て、あのキスシーンで長年の重圧から解放されたような気がしました。

齋藤飛鳥 ウエディングドレス


浩介と真愛のキスシーンを見ながら、彼女も別のパラレルワールドで、幸せな将来を迎えているのかもしれないな、とちょっぴり思えるようになりました。

ご本人はあのシーンは大変だったでしょうが、わたしのように救われた人もいたのかもしれません…


心にしまっていた話をなぜいまごろ思い切って公開するのかといいますと、それはわたしから飛鳥ちゃんや乃木坂メンバーについて、伝えたい思いがあるからです。

それは飛鳥ちゃん、そして乃木坂メンバーにはまず自分のことを考えて、自分の身体を大切にしてほしいという思いです。

われわれファンの犠牲にならないように、そしてわたしが、また第2の人殺しになってしまわないようにと…

  

映画の一番のおすすめ

いつものように昔ばなしが長くなりましたが、この作品がわたしが心の奥底にしまって抱え込んできたトラウマを解放してくれたことは、まちがいありません。

飛鳥ちゃんの感銘型の演技も、見る者の心を打ちました。
山田さんの演技も感情移入を呼びました。


では、この映画の一番のおすすめの点はなんだろうと考えると、飛鳥ちゃんや山田さんの演技より、ストーリーの素晴らしさより、そして一番感情移入できた映画という評価より、もっともっとおすすめできる点がありました。

齋藤飛鳥『あの頃、君を追いかけた』


それは飛鳥ちゃんのとってもきれいな19歳の姿を、半永久的に映像に残せたという点です。

いまはトップアイドルであっても、いつかはアイドルを辞められて別の世界へ進まれることでしょう。

飛鳥ちゃんファンが飛鳥ちゃんに日々活力をもらい、そして応援していたという現実も
過去へと変わり、いつかは風化してしまうことでしょう。


でも映画の中の飛鳥ちゃんは、真愛としての飛鳥ちゃんではありますが、そのはかなさ美しさ、全体に漂うやさしさ、そしてなによりその息を飲むほどのきれいさは、まぎれもなく19歳の飛鳥ちゃんの姿そのものです。

 




10年たっても20年たっても飛鳥ちゃんは、映画という作品の中で、アイドル当時のまばゆいばかりの美しさを放って、光り輝きながら映っています。

これからいつでも、何十年たっても、日々の活力を与えてくれた19歳当時の飛鳥ちゃんを、いつでも感じることができます。

これが、この映画の一番の成果だと思うのです。


素晴らしい作品に感謝をしつつ、今回のかえるがおはおしまいです。


ちなみに感情を揺さぶられて、パンドラの箱をあけられてへとへとに疲れてしまうので
もうこの作品を映画館に、見に行くことはできないですけどね。

たまーに、うーんそうだなー、5年に1回くらい見て、当時の飛鳥ちゃんの感性に触れられるといいなぁと思いました。


そのたびにまたつぶやくんでしょうねぇ


「こんなきれいな人いたんだ」と…