続・今日もやっぱりかえる顔

なぜか巻き起こってしまうまぬけな日常を、ひらがな中心のまぬけなテイストでお届けします。ときどき乃木坂46。

正義感で個人を叩いたりバッシングしたりする心理-集団ヒステリー-

あれは、20代の頃の出来事でした。

多くの人が参加されている会の参加者のひとりが、ある残酷な告知を現実のものとして受け入れることができなくなり、
責任を転嫁させるために、つい、思わず嘘をついてしまいました。

残酷なことになってしまったのは、かえるがおのせいだと、かえるがおはわるいやつだと…

 

その一言をきっかけに、その会は大紛糾しました。


かえるがおというやつはどれだけ悪い人なんだと、たくさんの人から怒号が飛び交い
大半の人は涙を流しながら、そして指を指してわたしはひどい人だと激しく訴えていました。

一緒に参加した仲間も含めて。

いやいやそれ違いますよ、という雰囲気でもなく
あの方が嘘をつかれていますよ、と言えるわけでもなく
わたしに対する怒号が飛び交う中、次第次第に追い込まれていって

そして…

 

結果的には月日がたった後、罪の意識に苛まれ、嘘をついた人が本当のことを言ってくれて、批判をされたことが事実ではないと、みなさんにわかってもらったはずなのですが、嘘を隠すために集団が行ったもっと残酷なことは…

過去のこの出来事は、わたしのその後の人生を変えてしまいました。

 

まだまだ未熟なわたしはこの出来事を消化できないこともあり、
詳細は来たるべき時期に、このブログに書かせてもらいますので
もう少し、お時間をいただけるとうれしいです。

この出来事を現代の言葉に当てはめてみると

炎上叩かれバッシングということでしょう。

 

正義をかざした個々が集団で個人に対して牙をむくことを

わたしは集団ヒステリーの一種の現象だと思います。

 

 

 

 

集団意識

まず、集団ヒステリーに似た言葉として集団意識と呼ばれる言葉があります。

 

このブログでも何度も出てきた集団意識という言葉ですが

簡単にいうと赤信号みんなで渡れば怖くない、と同じ意味でもあります。

 

個人ではモラルがあるため絶対にやらないことでも、集団であればなぜか気持ちが大きくなって、やってしまうという意味です。集団に合わせないと、自分がはみ出してしまうという意味もあります。

 

赤信号を渡ってしまうというようなことから、集団によるいじめのような大きな問題に発展することもあります。いじめの問題もこの集団意識によるものが多いです。

 

例えば、個人としてはいつも話をしているのに、集団になると急にいじめ側に加担してしまうという場合も集団意識が原因と言われています。
 

集団ヒステリー

集団ヒステリーと集団意識は、個人に対して集団で残酷なことを行ってしまう点は同様ですが、実は明確に異なる点があります。

それは、集団ヒステリーは集団の個人個人の正義感による行動だというところです。

個々にある情報がもたらされたとします。

 

このブログはアイドルを扱っていますので、例えばアイドルの恋愛が発覚したとしましょう。

一部のアイドル側の人格が想像できないファンの人にとって、アイドルの恋愛は大問題です。プロデューサーがあれだけ恋愛禁止と言っていたのに、なぜ恋愛でファンを裏切ったのかと、情報を受け取ってしまう人さえもいます。

 

その人の中で、得た情報はどうしても許しがたいことで、それはけしからん!と正義感を振りかざして、対象の個人を責めたりします。

 

そういう人の気持ちは、同じような気持ちを持つ人に伝染し、それぞれが正義感を振りかざして、対象の人に対して責め始める、これが集団ヒステリーです。

 

集団意識と異なり、集団ヒステリーはそれぞれが正義感を掲げて、相手をやっつけてやろう叩いてやろう正論を示して考え方を変えさせてやろう、と意気込んでいる分だけ、問題は非常に複雑です。


得た情報、言い換えると第一報が、本当は事実ではなかったとしてもです。
 

普段のコミュニケーションと比較

普段のコミュニケーションと比較してみると、その集団ヒステリーの特色がよくわかります。

毎日日常生活を送っていると、いろんな人と接していくことになります。

顔や形が違うように、いろんな考え方の人もいるし、仕事が一番大切な人や、プライベートを重視する人など、それぞれの価値観も異なります。

それぞれ価値観が異なることは、本来であればみんな誰もが知っていることです。その価値観や物事の捉え方が自分と違うからといって、変えてやろうとか、許せないからとっちめてやろうとは、日常生活ではななかなか考えにくいです。

相手を尊重して、そう感じてるんだな、いろんな人がいるよねーなんて、思ったりします。相手をとっちめて論破してやろうとは、少なくともわたしは思いません。

そもそも人の考え方を変えるって、そう簡単にできることではありません。


学校のように指導したり、注意したりして、その人の思考が変わるでしょうか。自分で変わろうという強い意志を持たない限りかなり困難です。

それも、相手がなぜそのような思考をしているのかを考えてみると、自分の時と同じように、相手の中でそのことが正義だからこそ、そのような考えを持っていることに気づくと、相手の意思がそう簡単に変わらないことがわかり、相手を変えようとも思わなくなるでしょう。

個人的には、自分の価値観という殻に閉じこもってばかりいないで、いろんな人から感じ方を学んで、自分を成長させたいと思っています。年齢、性別、国籍など関わらず、尊敬できるべき点やすごいなーと思ったことから自分に取り入れることを、自分としては心がけています。

韓国との外交問題

戦後70年が経過している現在、戦前に会社がなかったとしても日本の企業というだけで戦犯企業に指定されたり、日本製品への不買運動、日本バッシングのデモなどなど、日本人のわたしにとって韓国政府の日本に対してだけ行う理不尽な対応に、疑問を感じていることも確かです。

一方、見方を変えてみると韓国側の言動は、韓国側も正義を振りかざして行っているという現実も見えてきます。

韓国の人が教科書で習ったように、日本が韓国を支配していたのはまぎれもない事実ですし、韓国には恨の文化(単純に恨みという意味だけではない)が存在します。

物言いというか言い方、表現方法、その主張が日本にとってきついように感じてしまうのも、韓国は大国と陸続きの大陸に存在してきたという歴史から、思っていることをはっきり主張するという特徴もあります。

だれも韓国側を擁護しようと思っているわけではないので、誤解しないでくださいね。

現在盛り上がっている嫌韓の人たちの正義感はとてもよくわかります。でも、一方、韓国もまた韓国側の正義感や常識の中で動いていることも、事実のように思います。

 

大雑把に分類すると、国際法違反を主張する論理的な日本と、歴史問題への謝罪を要求し続ける感情的な韓国との構図のように思えます。

論理的な話に感情的に答えてる限り、これから先両者がわかり合えることは難しいとしか言えません。

 

相手を理解する気持ち

正直、これまで日本人は相手を理解して、そして思いやる気持ちがあるすてきな国だなと思っていました。

 

お年寄りを敬い、先輩を尊敬し、先人を立てて、控えめで謙遜できるという点がすばらしいと思い、わたしもそうなりたいと思って学んできたつもりです。

韓国との関係も同様です。

 

国内には在日の方々も多く住まれてますし、北朝鮮関連の教育機関もいくつも存在します。これ言い過ぎだったら謝りますが、韓国の宗教を信仰されてる方がかなり大勢存在し、日本のあらゆる分野に進出され活躍されています。

そんな状況であっても、これまで日本は問題はあってもおおらかに包み込んで、相手の考え方を尊重し、よいバランスで付き合いながらこれまでやってきました。


確かに韓国側の態度は頑なです。でも、日本側もせっかく今までお互いを尊重してうまくやってきたのに、今になって正義感を振りかざして、感情的に怒ることはないと個人的には思います。

幸い若い世代は、韓国を大好きな人が多くて、せっかく若い世代が作ってきたつながりや絆を、韓国政府のやり方くらいでなくなってしまうのはもったいないと思います。

情報から考える

あえて厳しいことを言うと、日本人は情報を得て自分の価値観で考えることは得意ですが、その情報が本当なのか検証したり相手側の気持ちを考えたり俯瞰して考えることが、どうも得意ではないように思ってしまうこともあります。

韓国の問題だけではなく、茨城の煽り運転の同乗者誤認、吉本興業の闇営業問題、NGTの問題と、同様の例をあげたら、きりがありません。

 

以前の記事で書いたように、主体的に生きるためには、情報を取捨選択して、検証して、生活に取り入れることが、よりよい生活につながるとわたしは思っています。アクティブラーニングという発想です。

 

韓国の人が政府から得ている情報は、ひょっとして正しいことだけではないんじゃないかと、この記事にも書かせていただきました。

 

www.facefrog.net


何度も例に出して申し訳ありませんが、服装が似ていただけで、茨城のあおり運転で加害者の車両に乗っていたのではないかと間違われ、ひどいバッシングをうけた女性がいました。

詳しく調べてみると、似ているという指摘を元に、個人が運営する多くの情報サイトで実名で記事にされていたことを確認しました。

このサイトは、だれかが逮捕されると、FacebookやTwitterなどを根拠に顔写真や、経歴などをまとめて記事にするサイトです。現在のトレンドのようで、たくさんの同様のサイトが存在します。多数存在するには意味があり、その大部分は大量アクセスで得る広告収入めあてであることがわかります。

広告収入をめあにして、ある種職業化しているので、その存在意義まで個人的には否定はしませんが、かなりリスクが高い仕事であることは確かだと思います。

逮捕された時点ではあくまで容疑者であり、今回のように無実の可能性も存在します。また、もし有罪だったとしても、非常に軽微な罪でたまたま報道されただけの場合もあり、元大女優さんの娘さんのように、2度も不起訴となり犯罪者ではなかった場合すらあります。

 

www.facefrog.net

 

たとえ犯罪をおかしてしまった人でも、当然人権は認められており、事件と関わること以外のプライベートを晒すような行きすぎた報道は、法的にかなり厳しいと言わざるを得ません。


服が似ているだけで、茨城のあおり運転の加害者に間違われた女性については、当時Google検索で1ページがすべて、同様の個人サイトの記事で埋め尽くされていましたが、なぜか今は全く見あたりません。

 

ということは、犯人ではないかと報じ、その方のプライベートな内容をまとめられた記事は、えん罪だとわかった時点で、すべてこっそり削除されていたことになります。

一方被害者側は、大きなバッシングを受け、今も傷つかれて悲しまれていることでしょう。あの頃のわたしのように。

 

まとめ

人は正義感に突き動かされて行動をしているとき、相手が一方的に悪いと思いがちです。

でも、現実はどちらかが一方的に悪いことはなく、現実はよいと悪いの間の数直線上の、どちらかに偏っていると考えることが、現実に即した考え方です。

このことは以前、アメリカの精神学者の理論をもとに、認知のゆがみをなくしてマイナス思考を取り除く方法を述べた記事で書かせていただきました。

 

www.facefrog.net


その正義感からくる行動自体はとても尊いものです。でも本当にその情報は正しいのか、そして相手の立場を思いやるという、現実での人間関係でいつもやっていることをほんの少し考慮するだけで、その素晴らしい行動は正義感を振りかざした行動ではなくなります。

 

正論を振りかざすだけでは、正論おじさんと同じになっちゃいますからね。
 

状況を俯瞰して見つめてみたり、情報の裏付けを探してみたり、他の立場の意見にも耳を傾けて、バランス感覚をもって自分の意思を持つことは、オトナとしての考え方ではなく、それだけ現実に近づいて行くという作業でもあります。

自らの考えが現実に近づけば近づくほど、現実に関する認知のゆがみがなくなり、マイナス思考が生まれなくなり、精神的にもメリットが多くなります。

 

www.facefrog.net

 

ひとりひとりが情報に踊らされることなく、その自分らしさと感性で冷静に分析するだけで、個人や国家に対して攻撃をすることもなく、みんなではっぴーに暮らせるんじゃないのかなー、なんて勝手に思ってみました。

おまけ

気になられている方はいないとは思うのですが…
いちおう、仕事を追われたその後のわたしの後日談を、最後にちょつぴり紹介したいと思います。

 

集団ヒステリーの被害を受けたわたしは、その経験を元に某企業に再就職し、主にクレーム処理を担当していくことになりました。

職務の中で、どれだけお客さんが暴力的でも脅されても威嚇されても、集団で感情的に批難されたあの時に比べれば、全然たいしたことありませんでした。

 

その結果、なぜか意外なことに、自分が関わったすべてのクレーム案件を円満に収束させることにつながりました。そして、いままたあの時失ってしまった夢を追いかけて、大学で資格を取り直して挑戦中です。まぁはっきりいうと、無職透明です。えへへ。

 

過去の悲しい出来事は、貴重な経験という今後の人生を切り開くための貴重な武器になってしまったようです。

同じような被害を受けられた方も、本当に大変でしょうが、一緒にぼちぼちがんばりましょう。がんばってれば、きっとそのうちいいことがありますよ。きっと…