続・今日もやっぱりかえる顔

なぜか巻き起こってしまうまぬけな日常を、ひらがな中心のまぬけなテイストでお届けします。ときどき乃木坂46。

思ったことと逆のことが起こってしまうときに忘れてはいけないこと

今回のかえるがおは、過去の記事の続編のお話です。

第1回目が『なぜ思ったことと逆のことが起こってしまうのか検証してみた』、第2回目が『知らないうちに奇跡は起こっているのか検証してみた』という記事を書かせていただきました。

今回は第3回目として、これまでの検証結果にのっとり、どのように未来のことを考えていけばよいのかという、なんだか高尚な生き方にも関わることについてまとめていきたいと思います。

もちろんかえるがおならではの、まぬけでひらがな中心のテイストは変わりませんので、ハードルを低めにお読みいただけると助かります。では3回目のはじまりーはじまりー。

 

 

 

おさらい

まずは前回までのおさらいです。

第1回目では、なぜ未来について思ったことと、逆のことが起こってしまうのか、Webで調べた結果、納得がいかなかったというところからスタートしました。

そしてこんな感じで結論を見いだしました。
 

そもそも具体的に思ったよいことが起こる可能性がとても低かった
結果本当はちょっぴりよいことが起こっても
最初に想像したよい出来事と比較すると、期待外れに感じてしまうため
悪いと感じることが起こる確率が高い


この当たり前とも言える検証結果に、納得いただいた読者の方もいらっしゃいましたが、そんなの何の解決にもなってないぞーと思われた方もきっと多かったことでしょう。精度の低さにこの場を借りてお詫び致します。

第2回目が何を思ってもよいことが起こらないという、1回目を受けて実は10万分の1の奇跡が、意外と日常生活の中で知らないうちに起こっていた、という内容でした。

これがなぜ1回目の続きなのか疑問に思われた方も多いかもしれませんが、1回目で「なーんだ何にもいいこと起こんないじゃん。」と思われた方向けに、「いやいや、信じてれば奇跡は、いつかみんなに起こるみたいですよー」と投げかけたつもりでした。なかなかわかりにくい提案の仕方ではありますけどね。こちらの記事もすみません。

では、前置きが長くなりましたが、いよいよ本題に入ります。今回は希望的観測という言葉からはじまります。

希望的観測

『なぜ思ったことと逆のことが起こってしまうのか検証してみた』の記事の補足事項として、希望的観測という言葉をあげたいと思います。

なんだか難しそうかもしれませんが、簡単に言い換えると、誰でも自分のことを客観的に見るのは難しいということだけです。

周りの人のことや他のことは客観的に見ることができても、なぜか自分のことは客観的に見ているつもりでも、自分のことなので自分の思いに左右されがちです。

自分の努力を一番よく知っているのも自分だし、自分の希望を一番よく知っているのも自分です。ここまで努力したんだから次はいいことがあるだろうとか、今までずーっとついてなかったから、そろそろうまくいくはずだなど、

自分を知っている分だけ、真に自分を客観化することはとても難しい作業です。

普段は客観的に分析できることも、自分のことは客観化できないので、目測を誤ってしまいます

この希望的観測を持ってしまうことが、思ったことが起こらない原因のひとつだと考えてみました。

 

自分のことをよく知っている分だけ自分のことを客観化できず、希望的観測が未来の予測を誤ってしまう

 

希望プラス努力イコール

なぁんだ、じゃあ希望的観測をもっちゃいけないんだ、これから先のことを考えるとお先真っ暗じゃん、なんて思われる方もいらっしゃるかと思います。でも、希望的観測というのは、人生を主体的に生きていく上でとても重要な役割を担っています。

それが希望です。

希望的観測なんて、難しい言葉で表現してみましたが、希望的観測は希望とよく似た言葉です。

希望を持っているから、不遇な時期でも頑張ることができます。不遇な時期だけでなく、普段の生活も希望を胸に、がんばって乗り越えられている方もきっと多いでしょう。

悲運な運命に翻弄されるだけでなく、もっとよい未来にしようと自分で意思を持っているからこそ、主体的に生きることができます。語弊があるかもしれませんが、運命とか宿命とか、くそくらえ!です。

どれだけつらいことがあっても、希望を持つから努力を続けることができますし、希望に努力をプラスすると、それが目標へと進化することができます。

 

個人的なおはなし

ということで、このへんでかえるがお名物、ながーい脱線の個人的なおはなしです。

これまで本ブログに300記事ほど書いてきましたが、実はその記事の端々に散らばらせていることがあります。気づいた方はいらっしゃったでしょうか。

それぞれの記事に散らばらせて書いてきたこと、それはこれまでわたしに起こった不幸話です。不幸話については、いろんな人の不幸話を聞いても、そう簡単に負けることがないほど、自信があります。

自慢することがまったくないわたしの、一番の自慢は多くの不幸を経験してきたことです。履歴書の自己PRの欄に、「多くの失敗を経験してきたこと」(不幸とはかけないので失敗と変換しました)と書いたほどです。

高校3年生のころでした。博多にある仏教のお坊さんが未来を教えてくれるというので、姉に連れられて行ってきました。

するとですね
絶対に東京に行かない方がいい。一旦は夢だった職業に就くけど、その後は争いばかりでやめさせられることになる。それからずーっとうまくいかない。50歳までうまくいかない。(※細かいことまで言われたのですが、省略します。)

といわれました。

「なんだよ、そんなこと起こるわけがないっ!」と思っていましたが、この予言めいた発言は、不思議なことにすべてが当たることになったのです。今でも一緒に行った姉と母親が、こわっ!と言ってるほどです。


あ、そういえばその時にわたしを守ってくれる守護霊さんたちの名前を聞いたんですよ。後で調べてみたら、その人は本当に実在した明治時代の学者さんでした。夢物語のようですが、不思議なことがあるものですね。ちなみにその学者さんは、わたしにはとてもきびしいそうです。

300記事にちりばめられているエピソードは実は、話ができる範囲のものでございまして、本当はもっともっとひどいことが追加でいくつかございまする。

この不幸話のすべてについて知っているのは、実はわたしだけです。ずーっと自分の中にしまい込んできました。家族には言えるものだけ言える範囲でジャブ程度に伝えているだけです。家族にも心配かけたくないですからね。

ただ、個人的にはいつでもお話させてもらいますので、万が一、いや億が一、無量大数が一、聞いてみたいという方がいらっしゃれば、遠慮なく言ってくださいね。

現在、過去のできごとは忘れてなかったことにしようキャンペーンを、個人的に行っておりますので、お聞きになられたい方はお早めにです。

不幸しか待っていないから、東京に行くのはやめとけと言われた忠告を守らず、東京に出て様々な不幸を経験したわたしが思うこと、それがさっきの言葉です。

運命とか宿命とかくそくらえ!

これですよこれ。自分の力で変えて見せますよ。←これを希望的観測といふ。

だめで、もともと

本音を読者の方にぶちまけてしまってすみません。
ということで、本題に戻ります。

2017年に書いた『なぜ思ったことと逆のことが起こってしまうのか検証してみた』という記事の最後に、このようなことを書いています。

じゃあ未来のことを思う場面で、いったいどう思うのが正しいのでしょうね


あれから、2年が経ちましたが、ようやくこの答えがおぼろげながら見えてきたような気がします。

それが『だめでもともと』という言葉です。

不幸ばかりを経験したわたしがいまつくづく思うのは、そう簡単に成功や幸運というのはやってきませんが、確率がとてつもなく低くても必ず幸運は誰にでも平等にやってきます。

いやそんなことないよ、どーせだめに決まってる、と思われる方は、『どーせ』という言葉は自分の未来を否定することになるので、使わないことをおすすめします。

『どーせ、だめに決まってるんでしょ』『どーせ、うまくいかないんでしょ』という言葉は、未来のことについてうまくいかないから、いまという時もまた、何もしないという意味が含まれています。

どーせ、うまくいかないからやんない
どーせ、だめに決まってるからあきらめた

というように、未来を否定しているどころか、現在の自分まで否定してしまっています。不幸を背負うのは自分なのと同じように、自分が自分を信じてあげないと、自分の可能性を自分のことのように信じてくれる人は他にはいません。これほんとです。

そしてもっとも重要なのは、誰にでもいつかはやってくる幸運を、手にする資格を失ってしまうという点です。

努力しなくてもいいので、気持ちを切らさないで望みを持ち続けることで、もし未来に幸運がやってきた場合、幸運を受け取る資格が確保できます。。途中であきらめてしまっては、今後やってくる予定だった幸運も幸運ではなくなってしまい、幸運もやってきようがありません。

わたしが思うのは、ほとんどのことが自分の希望的観測のようにはうまくはいきません。でも、いつまでも思い続けること、少しの行動を続けること、気持ちを切らさないこと、たったこれだけで未来の幸運を受け取る資格が発生すると思うのです。

だったら、「どーせ」ではなく、ほぼ失敗だけどうまくいったらラッキーという思いを表現して言葉にしてみたのが『だめで、もともと』です。

現実はきびしくそう簡単によいことは起こらないので、『だめで、もともと』は現実に即した考え方でもあります。

思ったことと逆のことが起こってしまうときに忘れてはいけないこと
それは、

『だめで、もともと』という考え方という結論にしたいと思います。

まとめ

今回のお話はいかがでしたでしょうか。やっぱり、納得できない結論だなぁと思われる方も多いかと思います。

自分としては、この話題は3回目を最終回にしたいとは思っているのですが、記事を書いた以上は責任が伴います。

今回の記事に限らず、何か続編を読まれたい記事がありましたら、遠慮なくお申し付けください。いつでも書かせていただきますね。こんな長い記事2度と読むかっ!と思われている大多数の読者のみなさまは、心の中で思っているだけにしておいてくださいませ。

また、『だめで、もともと』という考え方は、わたしからみなさんへのプレゼントという意味も込めてみました。なぜプレゼントなのかといいますと…

これまでの大量な『精神分析』のカテゴリの記事に書いてありますので、相当めちゃめちゃ、かぎりなくおひまな方は読んで探してみてください。

もちろん探さないことをおすすめします。

以上この記事を読んでいただいたみなさんに、幸運が訪れますように…

みなさんの笑顔を想像しながら、今回の記事はおしま…
おしまいではないので、今回は「おしまい」は、なしにしたいと思います。

つづく。

  

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