こん○○は、かえるがおです。
今回は誰でも胸に抱えている悩みについてのお話です。
東洋経済ONLINEの記事で、「水曜どうでしょう」のディレクター兼カメラマンの嬉野雅道さんが書かれた 『7年の鬱で悟った人生哲学 -楽しく生きる極意は「他人に負けてもいい」-』という記事を読ませてもらいました。
嬉野さんのとっても自然体で、片意地張った生き方でなく、ある種ひょうひょうと存在することができる極意の秘密がわかったような気がしました。
その記事の中でこのような言葉がありました
「悩みの底にあるものは、人の欲だと思います」
誰しも心の中で抱える悩みについて、少しでも楽になれるヒントをもらったような気がしたので 、自分の今後の考え方に生かせるように簡単に考え方をまとめておこうというのが今回の記事の趣旨です。
なぁんだ自分のための記事かぁと思われるかもしれませんが、少しでも普段の生活に生かせそうなところがあれば 活用してもらえるとうれしいです。
出典:ドラゴンクエストⅢ
- 悩みの根底には欲求がある
- 欲求はなくせない
- 欲求を選別してみる
- 努力でどうにもならない欲求
- どうにもならないことでもできることがある!?
- 欲求は目標へのスタート
- 欲+手段=目標
- 本当の主体的な生き方ってこんなもん?
- 目標-失敗=悩みor成功率のUP?
- 欲求は人生RPGのイベントフラグ
悩みの根底には欲求がある
嬉野さんが書かれているように、確かに悩みの奥底にある、本当の原因はその人の欲のような気がします。
外見についての悩みは、きれいになりたいという欲求
学力についての悩みは、頭がよくなりたいという欲求
年齢についての悩みは、若いままでいたいという欲求
というように、悩みの根底にはそうなりたい、そうしたいというその人が思う欲求の存在が確かにあります。
欲求はなくせない
では、欲求を捨てれば悩みがなくなるじゃないかと、思ってしまいそうですが、欲求を捨てるのはそう簡単ではありません。
まず、欲求がないと人生が外部的な要因に流されるだけになってしまいます。 自分の人生のかじ取りを外部の環境要因に任せっぱなしで、流されるままにの日常生活が、おもしろいわけがありません。
自分はこうして生きていくんだ、こうなりたいんだという意思を持って、それに近づくための わずかな成功体験のひとつひとつが人生に彩(いろどり)を与えてくれます。
そのため、ああなりたい、こうしたいという欲求は主体的に生活するうえでとても重要な要素のひとつです。
2点目が、欲求は自分の生活にかかわる他者との比較によって、自分で意図しなくても自然と生じる欲求もあるからです。 外見や学力、年齢についての悩みはまさにそうで、自分よりよい状態や条件の人がいるからこそ、その人と比較して悩むことになります。
他者と関わりながら生きていく以上、自分と比較して欲求が発生するため、その欲求により悩みが生じるのことを防ぐのはとても難しいです。
欲求を選別してみる
ただし欲求が悩みと関連していて、欲求を持つことを避けて通れない以上、悩みを解消するためには欲求と上手に付き合う必要があり ます。 言い換えると自分の欲求を自らコントロールすることが重要になりそうです。
欲求のコントロールと言えば、ストイックに自制をして、自分を抑える大変な作業のように聞こえてしまうかも しれませんが、今回はより簡単に、合理的に欲求を選別するだけにしたいと思っています。
欲求がおもむくままに行動すると、まわりの人とのトラブルが絶えなかったり、自分へのマイナスにもつながりますよね。 そうならないように、欲求を選別するという、普段誰もが心の中で行っている作業を、ほんのちょっと進めて、もっと合理化してみよ うと思います。
努力でどうにもならない欲求
その選別の基準はいたって簡単です。
自分でどうにかなることと、ならないことという2つの基準で欲求を選別したいと思います。
例えば若返りたいとか、死にたくないという欲求に対して、自分の努力でどうこうすることができる人であれば、 その目標に向かって頑張ればいいだけです。
わたしは残念ながら死にたくないという欲求に逆らう実力がありませんので、死にたくないという欲求は、これから何十年ずーっと考 え続けても この欲求を自分で叶えることはできませんので、悩み続けているうちにいつかはあきらめるという結論に到達するしかありません。
ずっと悩み続けた先にあきらめるか、それともすっぱり今あきらめるかの違いです。 これが悩みとの上手な付き合い方のような気がします。
結局結論は同じなので、自分に能力がないものについては、その欲求に執着しないことが悩まないで人生を楽しむためのポイントなのかもしれ ません。
どうにもならないことでもできることがある!?
自分にできないことを悩んだりしない!ときっぱりどうにもならない欲求をあきらめると、悩んでいた時に比べ、心に余裕が生まれるかもしれません。 正確に言うと悩みに使っていた思考回路を、ほかの事柄を考えることに使えるため、ちょっぴり視野が広がった状態です。
このちょっぴり視野が広がった状態で「死にたくない」という欲求を考えてみると、確かに寿命があり老いには逆らえないかもしれな いけど 自分にでもできることがあるんじゃないかと気が付くようになりました。
健康な生活を送れるように、日ごろから食生活に気を付けようとか、たばこやお酒を控えようとか、適度の運動しなきゃいけないなとか、劇的な効果が期待できるわけではありませんが、ちっぽけな自分でもできる、ちょっとしたできることが見つかっていきます。
このちょっとしたできることの積み重ねが、大げさかもしれませんが主体的に自分の人生を生きるということの入口のような気がしま す。
例えば容姿にコンプレックスがある場合、先ほどと同じように、もって生まれたどうしようもないことは、まずあきらめることが大切 です。
あきらめたうえで、小さな存在の自分でもできることを考えてみると、容姿はよくないけど清潔感を与えられるようにしようとか、 服装に気を使いおしゃれをキープして、雰囲気だけは美しい人になろうとか、髪型をかっこよくしようとか、 内面を気に入られるように自分磨きをしようとか…
劇的な効果がある作戦をいったんあきらめてるので、ちょっとした効果であれば、出るわ出るわたくさんの作戦が思い浮かびます これを自分で計画を立て、実践していくのが人生の楽しみ方で、悩みとの本当の付き合い方のような気がします。
欲求は目標へのスタート
一方、絶望的ではなく望みがある方の欲求についてのお話です。
こんな学校に入りたいとか、将来○○になりたい、出世したい、彼氏がほしい、結婚したいという 欲求については、「死にたくない」「年を取りたくない」という欲求に比べて、 望んでいる本人が主人公になって、主体的に考えることができる欲求です。
どうにもならない欲求と比べ、あなた次第でどうにでも未来を変えていくことができます。
この場合のポイントとして、欲求が悩みに変わってしまうかどうかは、その人の欲求のとらえ方が重要なポイントです。 ある人は欲求を目標に変えることができ、またある人は欲求をどうしようもない欲求と同じように、悩みに変えてしまうことになります。
がんばってもどうしようもない欲求は悩みにするか、あきらめるしか選択肢はありませんでしたが、がんばればどうにかなりそうな欲求は、その人の希望とか目標になる可能性を秘めています。
そのまま手をこまねいていては、いつまでたっても欲求は悩みのままです。 欲求を目標に変える方法は、とっても簡単で、手段(手立て)を持つことだけです。
欲+手段=目標
例えば知らない場所から、最寄りの駅まで行きたいとします。
この欲求を悩みに進化させる人は、どうせ知らないところだし、どういったら駅にたどり着くのかもわかんないよ、と 最初から匙を投げて、駅に行きたいという欲求と知らない土地という現実の狭間で悩み苦しむことになります。
一方知らない土地であっても、駅に行く方法があるはずだと信じて、具体的な手段を考える場合、駅にたどり着くこと自体があっという間に目標に変わります。
目標を達成するために、近くを通る人に聞いてみようとか、バス停がないか探してみようとか、スマホのGPSを使ってみようという手段を考えつくことができるでしょう。
欲求から生じた悩みが手段を手に入れたとたんに、停止したまま悩み続けることと違い、その目的に対して動き出します。 悩みが目標に変わった瞬間です。
本当の主体的な生き方ってこんなもん?
ただし現実の世界は厳しいです。近くを通る人に聞いてみようと思っても近くを通る人がいなかったり、たまたま聞いた人が冷たく、「わからない」と言って去って行ったり、 思い通りにならないのが現実です。
思い通りにならない瞬間に目標だったものが、「死にたくない」という欲求と同じように、自分にはどうしようもないものに 思えてしまい悩みに変わってしまいます。
実際の生活とは、こんな繰り返しなのかもしれません。 欲求を前向きにとらえ、実現のための手段を考えて実践してもうまくいかない。うまくいかないから欲求と現実のはざまでまた悩みに 変化してしまいます。
それをもう一度自分の気持ちを奮い立たせて、さっき聞いた人は怖そうな人だったから、今度は人のよさそうな人を探そうとか もっと人通りの多そうな場所まで移動しようとか、駅を見つけるのは難易度が高いから、まずはバス停を見つけようとか、 自分がやってみたうまくいかなかった結果を糧に、もう一度現実を整理することで、再び目標へと変わります。
その目標への考えた手立ては次はうまくいくかもしれないし、やっぱりうまくいかないかもしれません。
もしうまくいかなかったら、その事実をもとにうまくいく方法をまた考えて、心を奮い立たせてやってみる、 これが自分が主人公の人生を主体的に生きる方法ではないかと思うようになりました。
目標-失敗=悩みor成功率のUP?
将来あこがれにの職業に就きたいと思っている人は、どうすれば具体的にその職業に就けるのかその方法を考えてみてください。
出世したい人は、現状を分析したうえで、現在の組織にどうアプローチしていけば出世ができるのかを考えてください。
彼氏がほしい人は、どうやったら彼氏ができる機会が増えるのか、機会を増やす具体的な方法を考えてみてください。
主人公はあなたなので、あなたらしい自分のやり方でいいのです。どれが一番正しいやり方なのか正解はありませんので、安心して自分らしく考えてみてください。
自分で手段をしっかり考えて、欲を目標に変えてみても、きっとうまくいかないこともあると思います。客観的にみるとうまくいかなかったことは、成功するための唯一の大変貴重な「経験」という、やってみたからこそ初めてわかった、いわば体験学習で得た情報です。
三叉路で道を選ぶときに、目的地にたどり着く道が1つしかなかった場合、成功率は33%ですが、1回間違えると成功率が50%になり 2回間違えると成功率が100%になります。
自分にとっては失敗することは、本当ににつらいことかもしれませんが、失敗することしか人生の道を選ぶヒントはなく、失敗することで成功に直結することをわかっていただけたかと思います。
欲求は人生RPGのイベントフラグ
今回のかえるがおは、欲が悩みにつながることをもとに、自分でコントロールできない欲は開放することで悩みにしなくてすむこと、コントロールできる欲は自分の目標になり、目標を達成する手段を考え実践することが、自分が主人公の人生になることができることについて、考えてみました。
だいたいの考え方の仕組みはわかっても、まわりの人をいいなぁと羨ましいと思ったり、心を奮い立たせて実践した結果が失敗だったりすると、落ち込んだり傷ついたりするのは、人として当然でみんな誰でも経験していることです。
たくさん悩んで、たくさん泣いた後でいいので、少し余裕ができたときにでも、
この望みは自分でどうにかできる望みかな?
もしどうにかなるのであれば、どんな手段で望みがかなうのかな?
と考えてみてもらえたらうれしいです。
欲はその人のとらえ方次第で悩みにもなるし、人生を明るくする目標にもなるというお話でした。
そう思うと欲は人生というRPGのイベントを起こすための、フラグなのかもしれませんね。
出典:http://syakaihukusisi.com/%E4%BB%95%E4%BA%8B/doraque-tensyokusystemnimanabusikou/
私もそろそろフラグがたったようなので、宿屋で1番休んで、ボスキャラを倒すため近くの洞くつ探検に旅立ってみようと思います。 ただの資格試験ですけどね。本人としては結構大きなライフイベントのように思ってるみたいですよ。笑っちゃいますけどね。