ね。ほら、言ったとおりになっちゃったでしょ。
何のことやら大半の方はわからないことでしょうが
それがわかっていても、つい言いたくなってしまうほどの発表でした。
なんのことはない、これまでブログに書いてきたことや
日頃Twitterいつぶやかせてもらってることなど、
そんな日常を送ってきたわたしの本音がでてしまっちゃいました。
休止中のこのブログと、わたしのひとりごとのTwittwerを全部見てる人なんか
誰もいませんので、なんのことやらわからないのが正常な反応です。
安心してください。
- 注意事項
- メンバーの卒業発表について
- グループからの卒業が相次ぐ理由を考えてみる
- 3期生4期生重視の戦略の理由
- プロデューサーの意向
- メンバー、運営対外部プロデューサー
- プロデューサーへの考え方
- アイドルという名の一般人
- わたしにとってのアイドル
- アイドルに望むたった1つのこと
- 一度決めた以上は失敗しようがやってみればいい
- アイドルの背中を推したい
注意事項
いつものように前置きです。大切なことなので書かせてもらいます。
今回のブログの内容は、あくまで個人的な見解に過ぎません。
乃木坂というグループを長い間客観的に見てきた事実を積み上げて
あくまで個人的に推測しただけの記事で、事実と異なる点も多いはずです。
その点はあらかじめ、ご了承ください。
また、メンバーの具体的なお名前は記載しません。
これも今後のメンバーの旅立ちに向けて、過去の出来事がデジタルタトゥーに
ならないたための措置です。ご理解とご協力をお願いします。
メンバーの卒業発表について
ある乃木坂メンバー1期生について、グループからの卒業が発表されました。
長い間本当にお疲れ様でした。感謝の気持ちしかありません。
客観的に見てみると、アイドルのあり方として、あたらしいアイドル像を確立した
メンバーだったと思います。
かわいいの天才
この言葉は、楽曲のパフォーマンスだけでなく、なにげない仕草、そしてご本人の個性も含めて、すべての要素で確立されたアイドルの歴史を変えるアイドル像でした。その功績はとても大きく、後世になっても高く評価されることだと思います。
自分のプライベートの幸せを犠牲にしてまで、最後まで勇気を振り絞って、乃木坂メンバーでいてもらえたことに感謝致します。
それと乃木坂1期生とスタッフの皆さん。
不幸にも訪れてしまった危機に、力を合わせて最後まで戦い切ったことも、本当にすばらしいと思います。
一歩間違うと、自暴自棄になってもっと最悪のケースがいくつも想定されるピンチに、
協力して乗り越えられたことに、本当に心から感謝しています。
まぁ、かわいいの天才ならぬ、やさしさの天才と呼べるメンバーがいましたから、きっとやってもらえると安心してはいましたけどね。
グループからの卒業が相次ぐ理由を考えてみる
では、なぜ1期生2期生の卒業が相次ぐのか、その原因の一端を考えてみたいと思います。今回の卒業発表から、既に以前の段階で卒業が規定路線だったということがわかりました。
まさに卒業渋滞。
同じ時期に卒業が決まっていても、発表の時期をずらす時間差発表まで出てくるということは、今後も卒業を控えているメンバーが当然いると考えるのが普通です。
原因は、3期生、4期生重視の方針における、1期生、2期生の活動へのモチベーションの低下、これに他ならないでしょう。
このことについては、何度も何度もこのブログに大量の文字を使って書いてきましたので、そのへんの過去記事をクリックすると、書いてあると思います。
アイドルのパフォーマンスから脱却して、アーティストとしてパフォーマンスのレベルを上げ、乃木坂を作り上げてきた1期生2期生にとっても、十分に学ぶ機会や時間与えられず、急に矢面に立たされる3期生4期生にとっても、どちらにとっても、現在の活動方針は、メンバーに無理強いしている戦略です。
3期生4期生重視の戦略の理由
次は、なぜ3期生4期生を重視する戦略を、乃木坂としてとらなければいけないのか
その理由について考えてみます。
実はこのことも、これまで大量の文字数を使ってこのブログでも説明している内容です。
まず、乃木坂運営側の判断とは、個人的には思っていません。
乃木坂46ははじめから、メンバーの個性を大事にする、言い換えるととメンバーを大切にするグループでした。
「乃木どこ」、「乃木中」の放送も、枠こそプロデューサー枠ではありますが、制作会社に選んだのはケイマックスさんでした。
このケイマックスさんというのは、伝説の「内村プロデュース」を制作されていた会社で、出演されるひとりひとりにスポットを当てる手法の制作作会社さんです。
「内村プロデュース」でスポットを当てられてブレイクした芸人さんも多いです。
有吉さん、さまぁ~ずのおふたり、くりぃむしちゅーの有田さん、上田さんは気分は上々で、そしてバナナマンさんや、土田さんもこの番組で才能を開花されていきました。
今もなお内村さまぁ~ずという番組では、ゲストをMCにして個性の魅力を引き出そうとされています。
この制作会社を選んで制作されたのが、「乃木どこ」「乃木中」という番組です。
はっきり言うと、乃木坂というグループを推すBINGO系の番組よりも、メンバーそれぞれの個性にスポットを当てる「乃木どこ」「乃木中」の方がわたしは好きでした。
そして結果的には、多くのメンバーを抱えながらも、メンバーの個性の差別化に成功しただけでなく、メンバーの個性自体が、乃木坂の売りとなりました。
この制作会社を選んだのは、運営側だとわたしは思っています。その後の活動を見る限り、運営側はひとりひとりのメンバーと向き合っていたからです。
プロデューサーの意向
一方乃木坂46をプロデュースしたプロデューサーの意向を考えてみたいと思います。
大前提としてプロデューサーは乃木坂の企業に所属していません。
外部プロデューサーに過ぎません。
運営側から見ると、大切なグループの財産とも言えるひとりひとりのメンバーでも、
外部プロデューサーにとってみると、自分のビジネスを成功させるための委託会社の
社員的な発想になってもおかしくありません。
46グループもそうですが、吉本坂やラストアイドルなど、つぎつぎにセンセーショナルなキャッチフレーズと、西野さん出演のドラマみたいなセンセーショナルな内容を
世間に訴求しながら、ビジネスを長く続けていくこと
このことがプロデューサーが目指している方向性のように見えます。
もちろん数を打っている分だけ、うまくいかなかった事業も多いです。
吉本坂は自分の芸人生命をかけていた芸人さんたちが多かったので、立ち上げた以上は、責任を果たしてほしかったのが本音です。
でもプロデューサーの目的はビジネスを継続すること。
そして自分の会社の社員を養い、そして自分の報酬を最大限確保すること。
こういう発想から、自分が関わっている数多くのメンバーのうち、個々のグループのメンバーを見た場合、そんな小さなことにこだわっていられないという気持ちになるのでしょう。
もうひとつこのプロデューサーについて触れると、わたしは人を見る目に欠けていると思います。
1期生、2期生、3期生でオーディションで、このプロデューサーが推して暫定センターとしてグループに加入させ、加入直後にセンターに抜擢したメンバーは、グループを去ってしまいました。
表題曲の複数回センターを務めているメンバーは、4期のさくちゃんをのぞき
まいやん、にしのさん、あすかりんさんと
プロデューサーがデビューから推したわけではなく、
ファンが推してセンターに抜擢せざるを得なくなったメンバーです。
そのため、プロデューサーさんにメンバーの個性や発達段階に合わせた、適材適所を求めるのは、個人的に難しいと思います。
メンバー、運営対外部プロデューサー
ここからさらに妄想は続きます。
メンバーを大切に思うメンバー、運営と
今後も継続してビジネスを展開することに舵を切るプロデューサー。
ある自分の会社の利益だけを追求するメーカーのクライアントと、
その業務委託を受けているアウトソーサーの会社の構図によく似ています。
さすがにAKBを別会社にとられてしまって、頼み込んで乃木坂を作ったという経緯があっても、この両者には溝がある、というか対立している面もあるのではないでしょうか。
運営の立場を推測するには情報がたりませんが、まちがいなくメンバーにとっては、そのような思いをプロデューサーにもったメンバーも多く、それがかつて卒業の要因のひとつになったメンバーも多かったと思います。
プロデューサーへの考え方
では、自分のビジネスばかり考えて、プロデューサーは悪いやつだ!
やっつけたり、考えを変えさせてやろう!
と思う気持ちはよくわかりますが
それをやって、プロデューサーの気持ちが変わることはありません。
それは、ビジネスを継続することが、プロデューサー側の正義だからです。
長年そのことで事業を成功させてきた成功体験もあり、考えを変えるわけがありません。国同士の悲しい戦争に似ています。どちらにとっても正義を振りかざしても、何の解決にもなりません。
これは世間の大人を代表して言うのですが
世間はまちがっていることだらけです。
成功者の中に悪い人がいーっぱいいます。正直そういう世の中です。
でも、そういう世の中だからこそ、自分はあんな人にはなりたくないなとか、そんな人が作ってくれる現実に即していない困難から、自分を成長させることができます。
精神的に同じレベルになって、
それはわることでちゅよー、って精神年齢あかちゃんの人に言ったって
通じるはずがありません。
そういう人は見えない力に委ねるべきであって、やっつけるのはわれわれの仕事ではないんですよね。
同じレベルで怒っている以上、思うつぼです。
そんな状況で、自分は何ができるのか、たった一度しかないこの貴重な時期を、後悔がないようにベストを尽くす方法を考えるのが、現実的です。
アイドルという名の一般人
今回のメンバーの卒業までの経緯は、とても不幸な出来事でした。
御曹司と別れてください
信じていたのに
非常に残念なのですが、こんな言葉をみかけてしまいました。
では、この言葉を表現した人は、メンバーにとってどんな存在なのでしょうか。
ファンでしょうか、友達でしょうか、彼氏なのでしょうか。
もし彼氏や親だったとしても、その人が真剣に選択して決めたことを、事情も何もしらないまま、「別れてください」と言える立場にはありません。
アイドルのファンと言う文化自体が、疑似恋愛の一種として存在してきた歴史はわかっているつもりです。
その疑似恋愛を通して経験したことを、自分のリアルの生活の恋愛に活かしてきた人も多く、かつてそんな恋愛のスキルアップとして機能していたことも確かです。
でも、アイドル側にしてみると、アイドルもわれわれと変わらない一般の普通の人でしかありません。
笑ったり泣いたり、ご機嫌斜めな時もあれば、体調がすぐれないときもある。ねむかったり、だるかったり、おなかすいたり、プライベートの問題を抱えていたり、友達の問題や仕事の問題も抱えていたり…
まったくわれわれファンと変わりありません。
それなのにアイドルという職業の業務中は笑顔を振りまいて、頑張ってもらっています。でも1人の人間の尊厳として、プライベートまで売ったつもりはないと思います。
ファンはプライベートの彼氏でも、友達でも、家族でもありません。そんな関係の中で、葛藤しながらそのメンバーが選択したした選択に、異論を唱えることができる存在って、誰がいるのでしょうか。
どの立場で別れてほしいと言っているのか、どの立場で何を信じていたのか、もう一度考えてほしいのです。
わたしにとってのアイドル
自分の話になってすみませんが、わたしはこれまでの人生を振り返ると、東京に上京してきてから、ずっと運命に翻弄されて、ずっと耐えながら暮らしてきました。
小さな幸せを感じる余裕もなく、汚名を背負いながらずっと必死で耐え続ける日々を送っていました。
いつか必ず、一人前の普通の幸せでいいので手に入れたいと、がむしゃらに前を向いて生活してきました。
元々アイドル好きではありませんでした。ももクロの全力パフォーマンスに一時期はまった程度です。
そんな時乃木坂と出会い、あるメンバーを見て、
かわいいメンバーがいるなー、大人になったら綺麗になるんだろうな、と思いました。
わたしも例に漏れず、容姿から興味をもったのは確かです。でも、そのメンバーの本当の魅力は容姿ではありませんでした。華奢な見た目から考えられない、熱い思いとそして深い深いやさしさを携えたメンバーでした。
そのメンバーの活躍にわたしは救われました。
現実生活の苦しさを、メンバーの活躍への楽しみが打ち消してくれたのです。
打ち消しただけではなく、いつのまにか楽しみの方が上回るようになり、わたしは日々の生活を楽しめるようになりました。
アイドル活動というのは、身体的にも精神的にも想像を絶する職業で、本当に過酷だと思います。でも、わたしのように救われた人もまぎれもなく存在するのです。
そのうち、そのメンバーが自己犠牲の精神でホスピタリティ高く、仕事に向き合い続けてくれることに、自然と感謝するようになってきました。
感謝するようになってからは、あとはとんとん拍子で苦しい生活の中でも、目を向けていなかっただけだった、ちいさな幸せに気づけるようになりました。すこしだけ、人間として成長できたのかもしれません。
だから、わたしのアイドルに対する思いは、感謝、の一言と言っても過言ではありません。
アイドルに望むたった1つのこと
こんな心境のわたしが、アイドルに望むことはたったひとつです。
わたしの推しメンさんには
世界一幸せになってほしい、ただそれだけです。
そのためにわたしにできることであれば、なんでもします。そんな心境です。
でも、世界一の幸せってそう簡単なことではありません。
世界の人口が80億人だとすると、宝くじに当たるよりも、もっと低い確率です。その低い確率をほんの少しでも、上げることができるのが、失敗の経験だと思うのです。
ふたまたに別れている道があって、右を選んで失敗したら、左の道を選び直せばいいだけで、相対的に50%成功率が向上したことになります。
なんどもなんども繰り返していけば、2つの分かれ道を10回失敗したら、成功の道を選べる確率が99.999%まで上がることになります。
だから、わたしはアイドルさんが自分でしっかり考えて、選択して選んだことを、それはやめておいた方がいいとか、そんなことをするなんて裏切られた、とか感じることはありません。
一度決めた以上は失敗しようがやってみればいい
もし失敗しちゃって傷ついたときには、勇気を出してよく頑張ったことをたたえ
ひとつ幸せに近づいた客観的事実を伝えたい、と思うようになりました。
一般的なアイドルに当てはめてみると、キスシーンがドラマであったとします。
相手が今をときめく俳優さんでも、ラッキー、キスできる!って思う人が、どこにいるでしょうか。
びっくりするくらいの大勢のスタッフさんと、視聴者さんに見られながらキスするなんて、本当に地獄以外の何者でもありません。少なくともわたしはいやです。
あとは、せくしー写真集も同様です。
下着だけでなく、はだかをイメージさせるような格好での写真を、いくら報酬が高いからと言って、撮影して世に出版しようと思いますか。
おぢさんのわたしですらいやです。
女性だったら、もっともっと葛藤があるのが当然です。
プライベートでも同様です。
普通の現実の生活から隔離された状態にあったアイドルさんは、発達段階というべき、恋愛を学んでいく機会がなかった分だけ、異性を選ぶことに失敗する確率が高いのは当然です。
失敗したからこそ、次に失敗しないように学ぶことができて、幸せに近づくことができます。
失敗して苦しんでいるアイドルさんに向かって、わたしは、別れてください、裏切られました、とは絶対に言えません。
ナイスファイト、よくがんばった、と言いたいです。
他のことでなんでもも自分に置き換えてみるとよくわかります。
ずーっと悩んで悩んで悩んだ末に、決断して行われていたことに対して、「それは、やめておいた方がいい」とか、「裏切られた」と言えるでしょうか。わたしは言えません。
たくさん失敗してもいいから、世界一幸せになってほしい
これが、わたしの推しメンさんに対する、たったひとつのお願いです。
アイドルの背中を推したい
かつてアイドルは確かに疑似恋愛の対象とされている時代がありました。
でも、時代は変わり、多様性を重んじる世の中になりました。同性アイドルを見て、ああなりたいと憧れる女性も増えました。
わたしにないやさしさや、ひたむきな努力を見る度に、わたしもああなりたいなーと、つくづく思います。
アイドルという職業がある以上、そのサービスの受け手であるファンが、アイドルという存在をどう捉えるのかは自由です。
でも、今回のように、アイドルが選択したことを禁止したり、阻害したりする資格はだれにもありません。
アイドルをどう受け止めてもいいですが、あくまでそれは自分の中の話で、実際のみんなのアイドルに対して、自分の考えを押しつけるのは、ファンではなく、知らないうちに活動を阻害するという、逆の存在になってしまいます。
普通の人間関係でも同様です。
心配して、「やめた方がいいよ」と言うことはあっても、真剣に考えて決めたことに対して、どの立場から「やめてください」「そんなことするなんて裏切られた」といえるのでしょうか。
それより、失敗して1番傷ついている時に、側にいて寄りそうことが、わたしは課せられた使命だと思っています。
今回のおはなしは、アイドルに対しての受け取り方は、ファンそれぞれに委ねられるものだけど、アイドルだけでなく、普段の人間関係においても、決めたことを否定する資格はだれにもないというお話でした。
最後に、わたしの推しメンさんのアイドル生活はあとわずかというところに来ていると、わたしは思っています。
でもさびしいと同時に、あんまり身体が丈夫じゃないのに、長い間本当にかなり無理されたのを見てきたので、安堵の気持ちでもあるのが正直な気持ちです。
わたしにとって推しメンさんはアイドルである必要はありませんし、それに長い長いアイドル活動の記憶と記録という宝物がわたしにはあります。
現在進行形が、過去完了形にかわるだけ。
アイドル期間そのものは、いつまでもその記憶と記録と共に輝き続けます。
最後までアイドルとしての眩しいきらめきを見れることを、心から楽しみにしながら、今日のかえるがおはおしまいです。
かわいいの天才さん、ぐっじょぶでした!
長い間すばらしいアイドル活動をありがとうございました。
次は必ず自分の幸せを掴んでくださいね。
わたしの推しメンさんの次の、世界2位の幸せを。