なぜか最近遅ればせながら、急に悟りの境地にはいってしまったようでして、
今回のかえるがおは、自分を見つめてみたら、単純におもしろくなった、というだけのおはなしです。
今日もやっぱりかえる顔
本ブログの”続今日もやっぱりかえる顔”というタイトル、とってもダサいですよねー。
他のブログを読んでいると、英語のタイトルだったり、日本語であっても未来志向のセンスがよいタイトルのブログとか、タイトルは文字通りブログの顔なだけに、しっかり考えてあるタイトルがとても多いです。
はてなブログで書かれているブログタイトルをのぞいているだけで、
うわーっ、いいなーかっこいいなー、あたまがよさそーだなーと
まだ読んでいないのに、その書いてある内容に夢を膨らませたりしてしまいます。
ダサいタイトル
このブログのタイトルですが、実はあえてダサいタイトルをつけています。
例えば曲の題名だったとしたら、聞く側にとってその楽曲へのイメージに直結してしまうので、できればかっこいいタイトルをつけたいと考えると思います。こんなわたしでさえも、英語のかっこいいタイトルをつけたいなーと思ってた時期があったんですよ。
このブログのタイトルを考えるときには、不思議とかっこいいタイトルをつけようと思うことはありませんでした。
いつも自分を鏡で見るときに、なんでこんなにかおがまんまるくて、かえるみたいな顔してるんだろう???、とため息ばかりついてしまうことから、
あ、今日もやっぱりかえる顔っておもしろそう、と即決で決めてしまいました。
ブログをはじめた当初は”きょうもやっぱりかえるがお”というように、全部ひらがなでタイトルを表記していましたが、紆余曲折があり、現在の漢字仮名交じり文に落ち着いているところです。
このブログをはてなブログに復活させるときにも、少しは工夫をしてタイトルの最後にPrat2をつけるとかかVol.2、NewVersionなーんて、タイトルにつけるとかっこいいのかもしれません。
それはわかっています。言われなくてもじゅうじゅうわかっております。これから勉強しようと思ってたところに、母親から勉強しろっ!て言われて、そんなのわかってるよー、と言い返したいときと同じように、よーくわかっています。
でも、いまどきダサすぎてだーれも使わない”続”ということばが、どうしても気に入ってしまい、つつがなく採用されてしまって、現在のださださタイトルとなりました。
”続今日もやっぱりかえる顔”あらためて字づらを見つめてみると、自分でも笑ってしまうほどダサいです。
今ではブログのダサいタイトルから派生して、コンプレックスだったはずなのに、自分のことを自ら”かえるがお”と名乗ったりして、ダサいことこのうえないです。
ちなみにこのタイトルを見てめいっこの感想は以下の通りでございました。
“わたし、ぬめぬめしていて、かえるきらいなんだよね”
ああ、そーですか、と言ってやりました笑
ひらがな中心の文体
また、読者の方にとっては、とてもめいわくなことに、わたしはとってもひらがな好きです。
漢字で書くとお堅いイメージが文章から漂い、漢字は見た目もカクカクしていますが、ひらがなで書くと文体にやわらかさが増して、とっても気に入っています。
自分の書く文章については、まーったく自信がありませんが、いちおうこんなことを思ってみましたよー、という、わたし独特の表現方法に、ひらがなはぴったりです。
読んでもらってる人にとっては、本当に迷惑な話ですけどねー。いつもいつも読みにくくて申し訳ありません。一応反省はしているようですよ。
われながら、文章をひらがなで書くと、頭悪いんじゃないかって、思われないかって、まったく考えてもいないんでしょうね。あたまいいとか悪いとかいうより、自分にとってはもっと大切な表現方法らしいですよ。これが。
かっこつけても、あたまがいいひとはたーくさんいますから、ぼろが出る前に自分のまぬけさをさらけ出しておこうという考え方でもありまする。
いぬ
うちにはいぬが2ひきいるのですが、これがまたまぬけないぬです。
たとえば、こんなエピソードがあります。
飼い主に似てあたまはわるいのですが、”ぐるりんちょ”と言えば時計回りに回るだけの芸をすることができます。
反対に回らせたい時には、普通の飼い主だったらなんと言うんでしょうかねぇ。
わたしはいぬに反対回りをさせたいときには”ちょろりんぐ”と言います。
すると、なぜか言葉が通じて、いぬは今までと反対周りにまわります。
このナゾのかけ声は、自分としては”ぐるりんちょ”という言葉を逆から読むことをイメージしているのですが、正確に言うと”ぐるりんちょ”の反対は”ょちんりるぐ”でぜんぜん”ちょろりんぐ”ではありません。
それなのに、飼い主のわたしの意図を理解して、すぐに反対に回ってしまううちのいぬたちは本当にまぬけです。
いぬたちはいまは実家にいるので離れて暮らしているのですが、久々に会うと抱っこしてかおを見つめて、
“いい子ちゃんにしとったか(九州弁)”と言います。
すると決まって2頭のいぬたちは、わたしの鼻をぺろっとなめます。
まーったく意味がわからないです笑 なんかいぬ界の常識なのかもしれませんが、人間には理解ができないところです。
でも、おもしろがって必ず”いい子ちゃんにしとったか”と言ってしまいます。調子にのって1日に何回も語りかけたります。すると、しばらく見つめ合った後に、やっぱり鼻をぺろっとなめられます。
あちこちにおしっこばっかりして、いい子ちゃんにしていなかったことは、本当はよーく知ってるんですけどね。
いぬのまぬけなネタは、旧ブログ”きょうもやっぱりかえるがお”からいくつかの記事を、作者に無断転載しておりますので、よかったらまぬけなエピソードをご覧ください。
※本当は、食べほーだいの巻を載せたかったのですが、なんと転載してなかったっぽいです。あの話はひょっとするとmixiに転載してあるかも?です。代わりのお話ですみません。
あえてダサい
なぜなんでしょうか。
振り返ってみると、
かっこいいブログのタイトルをつけたら、人気が出るかもしれないのに、あえてダサいタイトルをつけてしまいました。
普通の文章で書けばみんな読みやすいし、ブログのていをなすのかもしれないのに、ひらがなばかりの文章にしてしまいました。
そして、いぬとのかかわりに代表される、われながらあきれてしまうほどの、まぬけな日常を過ごしています。
誰もいない家に帰ってきたときにも,でーっかいこえで”ただーいまっと”って叫んでしまうんですよね。このあいだなんか、歌いながら帰ってきたりと、最近まぬけ道をさらにきわめてまいりました。
これらのダサいエピソードですが、
すべてにおいて自分で自ら、あえてダサいを選んでいることに気づいてしまいました。
ダサいダサくないって決めるのは誰?
例えば誰に見せるわけでもないのに、流行に敏感で、服装もおしゃれで、おしゃれインテリアの家に住んで、という生活を送っている方も多いことでしょう。
まわりから見ると、おしゃれな生活に映るのかもしれません。
でもよくよく考えてみると、おしゃれとかダサいって、誰が決めるんでしょう?
より多くの人が賛同する方が、おしゃれとかダサいという感覚につながるとは思うのですが、わたしの生活のひとつひとつに、デジタルの点数計が出てきて、
ざんねーん、いまのはダサいが89%でダサいと判断されましたぁー
なんて言ってくれるわけでもないので、判断のしようがないんですよね。
そりゃ外に出て人と関わらないといけないときには、ちゃんとしたかっこうをして、持ち前の頼まれてもいないのに相手に合わせまくりのコミュニケーションを発揮して、ある程度の体裁は保ってますよ。
ただ、どうなんでしょうかね。
完全にプライベートな部分って、誰からも見られていなくて誰からも判断することがありませんので、生活してるとたいへんなことも多い分だけ、日常生活を明るくしたいという発想が自分の根底にはあります。
その明るくする方法が幼稚な発想で、ちょいちょい人前でも出てしまうところが、反省点でもあるんですけどね。
周りからダサいと思われてもぜんぜんかまわなくて、生活を明るく笑って過ごすたことの方が大切なので、この自分らしさをさらけ出す生活そのものを、わたしはまぬけと表現しているような気がします。
まぬけ…きっとまぬけ道の道のりは、奥が深いんでしょうねぇ。毎日を楽しく過ごすために個人的にこのエッセンスが生活に必要なので、きっとこれからもまぬけ道を追求していくことになるのでしょう。
これからもずーっとまぬけであり続けて、せっかくなので少しでも楽しい生活を送りたいなーと思っている、かえるがおなのでした。
きっと持っているもの、服装、そしてものの考え方、その生活様式などなど
最終的にはすべてにおいて、ダサいダサくないと判断するのは、自分しかいないんでしょうね。
おしまい。