続・今日もやっぱりかえる顔

なぜか巻き起こってしまうまぬけな日常を、ひらがな中心のまぬけなテイストでお届けします。ときどき乃木坂46。

ノスタルジックに浸っている暇はない

お疲れ様です。かえるがおです。

ひさしぶりの記事なのですが、実はなんにも書きたいねたがありません笑

そう思ってみると、たしか以前のサイトに掲載していた、旧かえるがおもいつもこんな感じでした。まったく書きたいことはありませんでしたので、PCに向き合ったときに、そういえばこんなことがあったなーと、心に移りゆくよしなしごとをまとめた、そんなブログでございましたよ。

ということで、今回のかえるがおは何を書くのか決めないまま、のーぷらんで書きすすめてみたいと思います。では、ひさしぶりっの、かえるがおのはじまりはじまり~

ノスタルジックに浸っている暇はない

 

書くことがない理由

では、半年以上ブログを書いていなかったにもかかわらず、なぜ何にも書くことがないのでしょうか。

理由はとっても簡単です。何か思った時に簡単にリアルタイムに書けるツールである、Twitteを活用しているからです。

わたしのTwitterの使い方はちょーっと変わっていまして、2つの意図で使っています。ひとつが、コミュニケーションツールとしての使い方です。

ときどき尊敬するアーティストさんからメッセージをいただくことがありまして、はずかしいのですが、実はそのメッセージにめちゃめちゃ反応するという意味のコミュニケーションツールです笑

そりゃね、ほんとは何百万人に対して送られているメッセージであることは、百も承知ですよ。わたしもいい年こいて、そんなにあほではございませぬよ。

でもね、やっぱりひょっとしたらメッセージが目に触れる確率が、まったくの0ではありませんからね。どれだけ感謝を言葉にしてもたりないほど、長い間、本当に勝手に背中を推されたと思ったことで、長い長い不遇の時代を奇跡的に乗り越えたんですよ。

おかげさまで新しい時代を迎えましたが、わたくしとしましては、やっぱり深い恩義があります。

尊敬するアーティストの方も、なまはんかな覚悟ではなく、仕事に取り組まれているので、できるかぎりの応援したいなと思い、反応し続けております。背中を推すというより、ひとつひとつの努力を認める反応ですけどね。

気持ちをリセットできるツール

もうひとつが、自分の気持ちをリセットするツールとしての使い方です。

1日中、常にいろいろ思いを巡らせるタイプでございますので、その瞬間に思ったことにとらわれていると、本来やらないといけないことに集中できなくなってしまいます。

逆にその時に浮かんだことをそのままにしておくと、せっかく考えたのにあっという間に記憶の彼方にとんでいってしまい、2度と思い出すことすらございませぬ。

それももったいないですしね。限りがある時間で触れたり考えたりしたことを残しておくことは、読み返したときに、えー、こんなこと考えてたんだ!って具合に、まるで自分が考えたことではない文章のように新鮮に読めたりするんですよ。どんだけ忘れちゃってるんだ、ってはなしですけどね。

ということで、わたしが考えたことはその瞬間に書き留めてありますので、Twitterをご参照ください、ということになるのです。全部つぶやいていますので、きれいさっぱりいつもとっても新鮮な気持ちでございまして、なーんにも書くことがないのです。

口べたな授業の進め方

みなさんは、自分の意見をみんなに伝えることに抵抗はないですか?

わたしは、ぜんぜんだめです。話をするのもうまくないし、自分がしゃべってまわりの人が黙って聞いている時間を、苦痛とさえ感じることがございます。

って、ことで仕事で役割としてどーしても話さなきゃいけない時をのぞき、話したいとはあんまり思わないんですよね。週明けに職場に出かけてひさしぶりに声を出すと、ぜんぜん声が出なくて、自分でもびっくりするくらいです…。

あんた、かつてきょーいんやってなかったっけ?なんて、ごくまれなヘビーかえるがおユーザーさんは、覚えてらっしゃるかもしれませんが、その時もそんじょそこらのきょーいんさんとはちがっておりました。

授業って主役は児童、生徒さんなわけでして、きょーいんが主役じゃないでしょ?なぜぺらぺらしゃべんなきゃいけないんでしょうか。導入でめちゃくちゃがんばって、おおげさなくらい演技して、うわぁ、この勉強楽しそう!と思ってもらったら、そこで役割はおしまいです。

あとは何にもしゃべんなくても、勝手にはなしあったり、気づいたりしながら授業はすすんでしまうので、どれだけ口をださないかが勝負なのです。そんなタイプのきょーいんでした。

かざらない自分を理解してもらうためには

ここで支障がでるのが、どーしても自己アピールしなきゃいけない場面です。

あなたはどんな人ですか?とか、最近転職したので自分をわかってもらわなきゃいけない場面であっても、まったく話すことがいっさいございませんので、引っ込み思案を100%発揮して、なーんにもしゃべらないことがあります。

そんな時に役に立ちますよね。Twitterに書きためてきたことが。

いつか気になる人が現れて、わたしがどんな人なのか奇跡的に興味を持ってもらったとしたら、そんな重要な場面で引っ込み思案を発揮している場合ではないので、はっきりと言ってやりますよ。意を決してちゃんと自分のことを話します。

Twitter読んでくださいね。それがかざらないわたしですよって笑

だって、まったくかざらない自分を本音満載で、長い期間にわたって書いているわけですから、なんだかんだ自分で説明するより、きっと深いとこまでわかってもらえることでしょう。それがWin-Winというものですぜ。量が多いので読んでもらうのは大変なのは、申し訳ないですけどね。

変化する環境と変わらない自分

最近転職したのが外資系の企業でございまして、これがまぁ業務量がとても多くて(わたしだけ特別多いといふ説もある)、入社から半年がたちましたがまったく業務量がへっておりません。

新製品の発売に合わせて、これまで発売されていた製品は、旧製品という名の過去に変わり、めまぐるしく環境が変化していきます。

改めて考えてみると、環境の変化って、仕事だけじゃないですよね。

住んでいる街の景色であるとか、友達の状況とか、仕事の仲間も変わっていきます。気持ちの変化や大勢の中の1人の人の変化まで含めると、本当に日々の単位でめまぐるしく絶えず環境の変化にさらされていることになります。自分を取り巻く環境は常に変化し続けています。

たった半年でわたしのまわりの環境は180度変わりましたからね。変わらないのは、わたし本人くらいなものですよ。

5年とか10年とか、そんな長い単位で考えなくても、よーくまわりを見回してみると結構変わったものが多いことに気づきます。

自分を取り巻く環境は常に変わっていきます。

けど、自分はいつも自分なんですよね。まぬけで昔とかわらないひとがよすぎる自分は自分のまま、幼いときからまったく変わっていません。いや、変われていないのです。

環境の変化に適応することって

環境が変わってしまうと、今までの言動では対処できないことがでてきてしまいます。新しい環境に合わせて、少しずつその環境に適応しなければ、きっとわたしは取り残されてしまうことでしょう。

大きなことでいうと、たとえば今の時代に、性差や年齢、国籍や宗教や文化の違いに戸惑っている場合ではありません。みんな平等で多様な価値観が認められる時代です。

でも古くから男性はえらい、と教育されてきた世代にとってみると、小さい頃からの価値観を変えることに抵抗を感じる人も存在することでしょう。でも今のスタンダードな価値観から逸脱しているからこそ、過去の価値観を振りかざすとそこに周りとの摩擦が生じてしまいます。

そういうおじさん達の報道を耳にすることも多いです。今の価値観に合っていないからおもしろおかしく報道されるし、報道後の世間の反響もかなりきびしいものとなってしまいます。おじさんだけではありません。最近は多くの人と交際している人や不倫する人の話題もうんざりするほど多く、性差について正しく理解している人の行動ではないでしょう。

まぁわたしに世間を斬ることなど到底できませんし、時事ねたを扱えるほどのスキルがあるわけでもございませぬ。なにを言いたいかといいますと、社会の一員として生活するする以上、絶えずまわりの変化に適応していかなければいけないし、以前の価値観にとらわれすぎている場合じゃないと、自分のこととして思うのです。

それはいくつになっても同じです。若い頃はだれでも世代の流行をキャッチして取り入れるスキルがありますが、年齢を経る度に自信が出てきたり、ある程度ステータスが高くなってくると、自分の考え方が凝り固まってしまう傾向にあります。

自分の価値観に凝り固まってしまうと、まわりとの摩擦や軋轢が生じて、自分で自分の生活を生きにくくしてしまうことになります。これまで成功してきたやり方が成功しなくなり、やり方に固執するのではなく、時代に合わせて変化、アップデートさせていくことで、過去の経験を生かしていきたいと思います。

変わる勇気

過去を振り返ってみると、過去はもう二度と戻ってこないことなので、どうしても記憶の中で美化されがちです。現在うまくいかないことがあれば、過去のよかった頃をついつい思い出してしまいます。あの頃はよかったなーと。

過去の努力や失敗の経験から学ぶことは必要ですが、美化した過去を振り返ってばかりいる場合じゃありません。

絶えず変化する環境に合わせて、自分が変化しなければいけません。環境の方は自分に合わせてはくれないので、変わった環境で自分が活躍していくためには、環境に合わせて自分を変えていくしか方法がないんですよね。

これまで培ってきた経験を武器に、自分のアップデートを重ねていくことがわたしがやんないといけないことですよ。これを成長というのかもしれません。

誰でも今まで成功してきたことを、簡単には変えたくないに決まっています。でもこれまで以上に活躍するためには、過去の自分を振り返って反省や経験から、変えていく勇気が必要です。

変えた結果が、そりゃ前より悪くなる可能性だってもちろんありますよ。でもその失敗の経験はまた次の未来に役に立つことになります。トライアンドエラーでまちがった経験こそが、情報が集まった分だけ成功に一歩近づいた状態です。

自分はあの頃はよかったなー、と昔をふりかって生活することは、きっとこれから先ないんだろうなと思います。もしそう思うことがあれば、人生の終焉を迎えて動くことができなくなった時くらいです。

あの頃はよかったなー、なんてそんなノスタルジックに浸っている暇はありません。めまぐるしく変わる環境に、自分のひきだしを増やして対応しなければいけません。

いまの時代を主体的に生きるために、自分を成長させていく必要があります。

学ぶべき材料はまわりにたくさんあふれています。大勢のまわりの人や著名人の方、報道や書籍、自然や景色、そしてわたしの尊敬する人…などなど、気をつけて見てみると学ぶ要素はたくさんあります。

そう考えると、わたしは過去を回顧してノスタルジックに浸っているひまなんかないのです。自分の時代にするために、主体的に生活をするために、環境に合わせて勇気ある成長というアップデートを続けて行きたいと思いました。

へ、10年以上前から、かえるがおのひらがな中心の文体はかわってないって?

かわらないよさって、いうのもありますからねぇ。はい、いいわけですけどね。

ということで、今日のかえるがおはここまで。みなさまお身体をたいせつに、なのです。

このブログをやめるつもりはございませんので、こんなめんどくさい論理の記事ならいつでも書きますよー。ということで、おしまい。