続・今日もやっぱりかえる顔

なぜか巻き起こってしまうまぬけな日常を、ひらがな中心のまぬけなテイストでお届けします。ときどき乃木坂46。

NGTメンバー暴行事件と欅坂46いじめ問題に共通する組織の課題

今回はアイドル界に降りかかった2つの騒動を、特に組織に目を向けて考えていきたいと思います。

現在、NGT48のメンバー山口真帆さんへの暴行事件、そして欅坂46今泉佑唯さんへの、他のメンバーがいじめを行っていたのではないかという話題について、連日メディアに報道され続けています。

まず最初に自分の見解を示す前に、最初に謝っておきたいことがあります。実はわたしはアイドルについて詳しくはありません。ただ乃木坂だけが好きな、乃木坂ファンでしかありません。

そのためアイドルを好きな、アイドルファンの方にとって、ひょっとすると受け取り方によっては、たいへん失礼な記述があるかもしれません。申し訳ありません。

また、2つの騒動について、連日の報道を詳しく知っているわけでもありません。できればこの種の報道に関わりたくないので、報道の内容とかけ離れた内容の記載があるかもしれません。この点も先にお詫びさせてください。

明らかに苦しんでいる人が存在するというのに、連日の報道の姿勢は、本当にその人のことを思い、正しい事実だけを伝えているかという点については、疑わしいと個人的には思います。

2つのグループに生じたアイドル界を揺るがす騒動について、まったく関係ない乃木坂ファンが感じた思いを、まとめておくだけの記事でしかないので、「目を通してあげよう」くらいに思ってもらえるとうれしいです。

ただし、いつものようにめちゃくちゃ長い記事ですが…がっくし。

 

 

組織を管理する立場から見た問題の映り方

まず、問題について考える前に、組織を管理する管理職側から見た、問題の映り方について理解しておく必要があると思います。この視点が現在の報道からは抜けてしまっているように思えます。

管理職側から、もしくは経営者側から見た場合、2つの問題はどのように映っているのか考えていない場合、「どちらが悪い」とか「なぜ悪い側を処分しないのか」という、議論になりがちです。現にメディアでは、悪い方をなぜ処分しないのかという論調をよく耳にします。

簡単に、会社組織を

  • 経営層
  • 管理職
  • 現場レベル

と分けた場合、それぞれ業務内容が異なります。

特に日本型組織の中で、管理層が組織に求めるのは、問題をおこなさないこと、そして和を乱さないで仲良くしてほしいということです。

人的なケアは現場レベルの人たちの役割であり、問題なく円滑に業務を進めることが、管理層の一番の目標でもあります。

特にNGTの問題がわかりやすいのですが、管理層の視点から見てみると、現場のメンバーがギクシャクしていることにより、円滑に業務(公演やスポンサーとの関係)を行えないことが大問題です。

大変傷ついたメンバーがいることは管理層も知っています。加害者側に加担したメンバーがいることも、メディアで報道される以上に本当は把握していることでしょう。

でも、

その問題メンバーのグループと他の大半のメンバーはうまくやっているのに、なぜ勇気を持って告発した山口さんたち一部のメンバーはうまくやっていけないのか、気持ちはわかるけど、まずはまわりとうまくやってほしい

という考え方が日本型組織の管理職には、とても多い考え方です。


企業の内部告発にとてもよく似ています。行動に移した勇気ある告発者は、なぜか賞賛されるどころか、組織によって虐げられ悲惨な結果となる場合が、残念ながら日本では多く見られます。

告発側が少数で、問題だと気づいていても声を上げない人が大多数だということから、管理側から見ると、企業の存続を危うくさせる存在として、告発者側が異端に思われてしまうからです。

また、管理側にとってみれば、人員のケアは現場の仕事なので、なぜ現場はうまく人を回すことができないのかと、叱責したりします。現場を指導するのも管理層の仕事です。

日本型組織の特徴

では、最後に残された経営層はどうでしょうか。

経営層はよりマクロな視点で企業の進む道を考えるのが仕事なのですが、現場の事件の場合には現場からの声が直接届くはずはなく、現場と経営層の間に管理層が入り、管理層から報告されます。

もちろん事実をそのまま伝えるという、小学生の言い分みたいなピュアな言い分ではなく、自身に責任が及ばないように、自分の視点で報告することも多いでしょうから、事実がきちんと伝わっているかどうかについては、どうしても疑問が残ります。

もし事実が伝わったら、経営層は正しく対処してくれるかも、と思われている方もいっらっしゃるかもしれませんが、残念ながらそうではありません。

確かに現在、企業はコンプライアンス(法令遵守)を求められているため、企業イメージを損なうことがないように、コンプライアンスには非常に敏感です。

NGTの事件の場合は特に警察が動いているため、とても敏感にならないといけない場面なのですが、残念ながら日本型の企業は、企業法人自身が関わるコンプライアンスには敏感でも、個人に関わるコンプライアンスについては非常に無関心です。

企業が個人へのコンプライアンスに無関心なことについては、以下の記事に書かせてもらいましたので、興味がある方はご確認ください。

 


企業としてもコンプライアンスを重視すると、事件が立件されなかったから、事実上事件ではない、という発想になります。

本来は自分を守ってくれる自宅前で、待ち伏せされ襲われたメンバーの、想像を絶する恐怖を体験したことを、理解してもらえないことが本当に残念です。

この種の事件に遭遇してしまった場合、意図せず恐怖がフラッシュバック してしまい、普通の生活を送るのが困難になってしまう事例が多いのが特徴です。PTSDという言葉も普通によく聞く言葉になってしまいました。

同様にファンに襲われた事例で、グループを卒業された例もあるほど、他の人では想像できないくらいの、非常に強い恐怖体験だったということは、とても大切なことなので触れておきたいと思います。


まとめますと、日本型組織の場合は、管理層、経営層にはほとんどの場合、自浄能力はなく、従来通りうまくやってほしいという結論に落ち着くことが多いといえます。

たまに正義感に揺り動かされた権限を持つ人材が、対処してくれることもありますが、それをやること自体、組織の従来の枠から離れてしまうので、組織運営を重視する経営層から見ると、またその行為が異端に映ってしまいます。

このことはただ、NGTや欅坂の問題だけではありません。身近な問題としてすべての企業、そして学校組織で星の数ほど起こっている問題で、きっと読んでもらっている方も経験されたことがあるでしょう。

日本型組織は正しいことを正しいと判断することができず、そして悪いことを悪いと言えない組織が多いのが特徴ではないかと思います。

組織の中の自分のあり方を学ぶ場所

前置きが長くなりましたが、前置きを読んでみると、「なーんだ、正しいことが正しいと認められないんだ」と幻滅された方もいらっしゃると思います。そんな社会をつくってしまった大人のひとりとして、心からお詫びしたいと思います。本当にごめんなさい。

じゃあ、最初から和を乱すと、正しくても正しくなくてもマイナスにしかならない組織の中で、どうやったら自分らしさを出してうまくやっていくことができるのでしょうか。

組織の中でうまく自分を出せる方法と最初に学ぶ場が、わたしは学校ではないかと思います。

まさに学級という組織もヒエラルキーが存在し、学校生活を通して組織の中でどうやって自分らしく振る舞うことができるのか、継続的に学ぶことができます。うまくいかなかった失敗体験によって学ぶだけではなく、成功体験からも組織のよさを学ぶことができます。

組織のメリット

個人が組織に組み込まれると自由を失い、一定時間拘束され、そして組織によっては善悪の判断がゆがんでしまうという、組織のデメリットだけが目に付いてしまいますが、組織よるメリットももちろん多く存在します。

まずは所属のメリットです。その組織に所属しているだけで、その組織の〇〇さんといて、まわりから見られることになります。

わたしの前職である「PCメーカーの〇〇という役職のかえるがおです」というだけで、なんだかITリテラシーが高く仕事ができそーなイメージを想像してしまいます。でも、実際はこんなふうにまぬけな感じです。

組織というのは、個人にプラスのイメージを与えてくれることもあり、個人が優れているいないに関わらず、所属しているだけで一定の効果がある、個人への装飾効果をもたらしてくれることがあります。

2つめのメリットは、組織に所属していると、組織が弱い立場の個人を守ってくれるという点です。

例えば企業に属しているだけで、まさかの事態に備えて企業の福利厚生である程度守られることになります。一方個人事業主はどんな事態に遭遇したとしても、前もって自ら準備をしておく必要があります。

極端な例ですが、国会議員であれば会期内は逮捕されないという不逮捕特権すらあります。学校も不測の事態が発生しないように、個々の児童生徒学生を守ってくれる組織という側面もあります。


3つめのメリットは、組織でしかできないことがあるという点です。

個人ではできないことが、組織内の仲間と協力することで達成できることがあります。部署の売り上げ目標の達成や、協力してなにかの大会で優勝したという例もこのメリットに当たります。

実はわたしも中学の時にバレーボールの全国規模の大会に出場することができました。国際大会も行われるような会場は、学校の体育館と比べてびっくりするほど天井が高く、最初の練習で高くトスを上げてアタックするオープン攻撃のときに、アタックを空振りしてしまいました。


どうやらわたしは、ボールと天井の距離を目安に助走を開始して、アタックをしていたらしいのです。

学校の体育館の低い天井とは違い、とても高い天井にスタートを切るタイミングに戸惑い、どれだけ練習してもちゃんとオープン攻撃を決めることはできませんでした。

それで最初の大会は、空中で待っているところにめがけて、短くトスを上げてくれてアタックをする、クイック攻撃ばかりをサインも出さずにやっていました。

確かに結果を出すことはできましたが、サインも出さずにクイックの種類を変えて走り込んでくるわたしに合わせて、トスを上げてくれたセッターの友達のおかげだったのは、いうまでもありません。

また、本ブログを読んでいただいている方はご存じだと思いますが、わたしはまぬけでのんきで、そして非常によわいタイプの精神構造をしております。

全国規模の屈強な背が高い男子を前にして、練習を見ただけでびびりまくっていたのですが、奇跡的にアタックが1本決まるたびに、駆け寄ってきてハイタッチをしてくれる仲間に勇気づけられ、

あれ?ひょっとしたらわたしみたいな異端なアタッカーでも、うまくいくかも?

と勘違いして、実力はないのに結果を出してしまっちゃいました。

このように、まわりのメンバーが支えてくれてはじめて、結果を残すことができたことに、こんなわたしであっても気づくことができました。

メンバーに会っても、あのときはありがとうなんて、恥ずかしくて口が裂けても言えませんけどね。この間偶然街で遭遇したときには、「おまえ、えらくふけたなー」なーんて言ってしまいました。ごめん。本当はとっても感謝しています。わたしに貴重な経験を体験させてくれてありがとう。

このような個人ではできないことが、仲間と協力することでできるのがチームであり、もっと大きく言うと組織のメリットでもあります。

組織の中での自分あり方

いつものように余談で長くなりましたが…
人間は社会性の動物ですから、好むと好まざるとに関わらず、なんらかの社会的な組織に組み込まれています。そして自分が所属する組織での自分のあり方を学ぶ場所は学校と述べました。

学校では、先ほどの例のように部活動で学ぶこともできますし、そもそも学級活動という教科等の目標が望ましい集団活動そのものでして、望ましい集団活動を言い換えれば、自分の得意なことを持ち寄って、自分の得意なことで貢献してよりよい組織にする、という授業もあります。

授業や部活動だけではなく、学校生活全体で学んでいくことでしょう。

ただし近年、その貴重な経験の場を学校に求めることが、とても難しくなってきています。

俗にモンスターペアレンツと呼ばれる、ご自身の主張を学校に頻繁に訴えてこられる保護者の方も確かに存在します。わたしはその方々をモンスターペアレンツだとは思いませんけどね。

ただし、新卒で大人の年代の方と、十分にコミュニケーションをとったことがない年代の人にとっては、それは確かに恐怖でしかないでしょう。

そのため学校は苦肉の策として、教育の質の画一化に取り組んでいます。確かに教育を受けても、社会に出るために必要な知識を身につけないといけないという意味で、教育の質の画一化はとても必要なことです。

でも、現場レベルでいうと、ある教員が効果的に授業ができたやり方で、全員の教員がうまくやれるかというと、そうではありません。それぞれの教員にあったやり方と、そしてその学級の実態というのがあるからです。

逆にそんなに画一的な方法で教えた方がよいのであれば、AI搭載のロボットが授業をやった方がもっと画一的な授業ができるはずです。授業とは、お客様である子どもたちの実態に合わせてカスタマイズして提供し、反応を見ながらよりお客様にマッチした授業に変化させて提供していくものだと思います。

また、クレーム防止のために教育が画一化された学校にとって、その画一化になじめない教員は、組織からはみ出してしまった存在になってしまいます。

きつく叱ることを中心に学級経営を行っている学校に、ほめて伸ばすタイプの教員が入ってしまった場合、どちらが正しいかは置いておいて、
となりの学級はほめて伸ばす教育なのに、なぜ叱ってばかりいるんですか
と、教育手法の違いを保護者に指摘されるリスクをなくすために、その組織の中では異端となってしまいます。

これも前述の組織と同じように、組織自体には正しい正しくないを判断することよりも大切な目的があるのです。言い換えれば、学校の現場はそれだけ追い込まれています。


わたしのまわりでは、結果的に3学期内に2人の教員がやめられました。事実を本人に確認したわけではありませんが、個人的にはまわりとの軋轢が主な原因だったのではないかと、自分の無力さに切なくなってしまいました。

蛇足ですが、クレームの対処法を間違っているだけなんですよね。言われてびっくりするような要求を保護者から受けても、保護者は言っている内容よりも、学校や学級、あるいは担任に対する不信感を背景に訴えているだけなんですよね。

なんで自分の子どもをちゃんと見てくれないんだと言っているだけなので、子どもの成長を願うという共通の立場にたって普段から話をしていると、敵対することもなく保護者の方に安心してもらえるんじゃないかというのが、わたしの持論です。

興味があるかたは、企業の危機管理としてのクレーム対処法をまとめた記事がありますので、もしよかったら時間があるときに目を通してもらえるとうれしいです。
 


この長い学校の現状の例で言いたかったのは、現在の学校はとても追い込まれていて、望ましい集団活動についての効果的な教育を期待するのは、難しいということです。

信頼できる誰かが、こうすればまわりとうまくやりながら自分のよさを発揮できるんだよ、と教えてくれることではなさそうなので、自ら主体的に、その体験により学んでいくことが必要だと思います。

正しいことが通用するとは限らず、場面場面に応じて我慢が必要なこともあると、自分の失敗から学ぶのも、現代日本においての大人になるための発達課題の一つのなのかもしれません。

アイドルの恋愛

NGTの問題も、欅坂の問題も特殊な問題ではなく、みなさんの日常にいくつでも、その辺にころがっている問題です。

この章のお話は、ガチのアイドルファンの方にとっては、とても理解できない酷な話ではないかと思います。本当にごめんなさい。こんな風に変わった考えをしている乃木坂ファンがいるんだ、くらいに思ってもらえるとうれしいです。

以前からわたしは個人的に、アイドルグループメンバーの恋愛に反対しない立場です。

アイドルが運営会社から、恋愛禁止というルールを設定されたとしても、アイドルの人権を著しく損なうため、大げさですが提訴されたら圧倒的に不利になると思います。

アイドルに恋愛感情を持っているファンも多いのに、アイドルだけにストイックに恋愛しないで仕事に取り組んでほしいと願うのは、さすがに勝手すぎるような気がします。

アイドルという職業なだけで、恋愛や結婚という人間としての幸せまで、犠牲にしてしまうのはとてもかわいそうに思えます。


恋愛というのは人間として生まれてきた以上、食欲や睡眠欲と同じ遺伝子にインプットされた、誰かから教えてもらうようなものではないので、まわりの異性に対して無意識のうちに好意を持ってしまった、という経験があるアイドルも多いことだと思います。

言動の原動力

これも個人的な思いでしかないのですが、わたしが怖いと思うものの中に、人が持つネガティブな思いがあります。あるスピリチュアルの説でいうと、金縛りはその人に対して思いが強い人がもたらすという説まであるほどです。本当かどうかはわかりませんけどね。

その人が持つ思いは第三者に見えることはありませんし、現実とギャップがあればあるほど、それは妄想で肥大化してしまいます。まるで、ストーカーが持つ相手への思いのようにです。

 


そしてその人の思いは言動へとつながります。思いを持つことで言葉や、そして行動に表面化していくのです。

自分が知らない、膨大な数のファンに好意を寄せられるというのは、冷静に考えると恐怖と背中合わせのように感じてしまいます。

自分が知りえないところで、自分のことを一番に考えている人が大勢いるのです。いつ現実とのギャップで肥大化した思いが、行動につながらないとは言えないため、とても大きなリスクをはらんでいます。

この人気者ならではのリスクに、ほとんどのアイドルは気づいていて、まさかの事態にならないように憂慮しながら暮らしているアイドルも、きっと少なくないと思います。

ファンとしてアイドルに望むこと

一方乃木坂ファンのわたしで考えてみると、わたしが一番望んでいることは、推しメンの幸せ、ただそれだけです。うれしい、楽しいという心からの笑顔を見たいのです。

好意を持った異性がいれば、その人と結ばれてほしいし、もしその恋愛がうまくいかなかったとしても、その経験を糧に次はもっと幸せな恋愛につなげてほしいと願っています。

わたしの推しメンさんは、やさしくて愛情深いため、男性を見る目がなさそーだと思って、言っているわけではありませんので、是非この点は誤解のないようにお願いします。

幸せな気持ちに満たされてに毎日を送ってほしい、というのがファンとしての一番の願いです。そしてその幸せそうな笑顔を少しでも共有してもらえれば、これほどファンとしての幸せはないと思うのです。


認めたくないかもしれませんが、ガチのアイドルファンがアイドルの恋愛という現実を見つめることによって、自分もそのアイドルが選んでくれるかもしれない異性の1人としての、可能性も生まれてきます。

過去の同じ秋元グループだったおニャン子クラブの元メンバーのその後を調べてみると、結果的にファンだった普通の人(俗に言う一般人)と結婚されている例がとても多いことがわかります。

膨大に存在する恋愛のライバルたちに勝てるように、それこそストイックに自分磨きを頑張ることで、わずかな可能性をほんのりアップさせることもできますし、もし大多数のファンと同じように、アイドルが自分を選んでくれなかったとしても、次の恋愛に生かせるくらいに自分がレベルアップしていることに、いずれ気がつく時がやってくることでしょう。

企業人として最低限必要なもの

NGTの問題は、実際に確認したわけではありませんので本当かどうかわかりませんが、一部のファングループとメンバーにつながりがあり、そして恋愛関係にあったという報道までされています。

これを裏付ける客観的証拠まで出てきており、確かに疑われてもなかなか、かばいきれるものではありません。

ただ、わたしがここで問題としたいのは、ファンと恋愛関係になったことではなく、ファングループとつながった結果、仕事仲間であるメンバーの情報を漏洩させたこと、が一番の問題点だと思います。


アイドルを職業とした以上恋愛してはいけないわけではなく、ファンやグループ、そして所属する企業、スポンサーに迷惑をかけない範囲内で恋愛することに、とやかく言うつもりは、少なくともわたしにはありません。

でも、内部の実情を漏らされてしまっては、正常な業務が成り立たなくなってしまいます。特にアイドルはイメージが大切と、かの秋元大先生も歌詞で書かれているとおり、内情をばらされてしまうと、その大切なイメージが傷つくことにつながります。

仕事を一緒に行う組織の仲間だからと思って、素の自分を見せたり、プライベートな話をしたりするのを、関係のない第三者にばらしてしまうと言うのは、社会人として仲間の信頼感を損なってしまいます。その職業に規定されていなくても、いわゆる守秘義務違反にあたります。

信頼して素の自分を見せているのに、その信頼を裏切ったことになり、裏切られた方はどれだけショックに胸を痛めるのか、想像力に欠ける行動としか言えません。

NGT48メンバー襲撃事件の真相を考える

では、漏洩しているのは特定のメンバーのプライベートな情報だけでしょうか。おそらくそんなことはないと思います。

ファンのグループとつながっていた複数のメンバーが、ある特定のメンバーの個人情報だけを話していたと考えるのは非常に難しく、それだけでなく他のメンバーの情報、今後のイベントや公演内容、組織の内部事情など、他に漏洩してしまった機微な情報があるはずと考えるのが自然です。

本来であれば、この重大な違反を犯したメンバーこそが、社会的な制裁を受けなければいけないのですが、管理層から見てみると、組織の輪を乱して事件を表面化させた、少数の勇気ある告発者側に疑いの目が向かってしまうのは、日本型組織の問題として示した前述の通りです。

これがわたしが考える、NGTメンバー襲撃事件がなかなか進展しない原因の真相ではないかと思います。

いじめの特徴

次は欅坂のいじめ問題です。

一般的にいじめの問題というのはとても対処が困難です。低学年くらいまであれば担任の介入で沈静化することができるでしょう。

それ以上の年齢になると、担任が介入してもいじめている側の気持ちまで変えることは難しく、また原因を取り除くことも非常に困難です。

ましてや社会人の組織には先生的な存在はなく、管理層や経営層は、現実を直視することよりも、波風を立てないことを優先した結果、少数派のいじめられている側が不利な状況になる場合すらあります。

これまでいじめについて、何度か記事で触れてきましたが、集団活動を語る上で避けては通れない、非常に難しい問題です。

また、語弊があるかもしれませんが、いじめには何かしらのきっかけがあります。たとえいじめられている側が、どうしようもできない理由であってもです。

例えば小学校高学年くらいの女子であれば、一般的ないじめでイメージされる立場の弱い子だけでなく、勉強ができる子や容姿で目立つ子、先生から気に入られているんじゃないかと疑われる子など、学級の中心にいた子が急にターゲットになることさえあります。

組織内での常識だけから照らし合わせた場合に、その人が特異に見えてしまうこと、そして、個人ではそんな残酷なことは絶対しないはずのに、組織の中で増大してしまった集団意識の、不幸な一致があったときに、残念ながらいじめが発生してしまいます。

欅坂46のいじめ問題

わたしは乃木坂ファンではありますが、同じ坂道グループでも、欅坂、日向坂、吉本坂のことはまーったく知りません。坂道ファンの方、勉強不足で本当にごめんなさい。

また、併せて今回のいじめ問題の経緯も全く知りません。こんな状態で記事にしてコメントするのは、非常に無責任だとは思うのですが、失礼を承知であえて個人的な意見を言わせてもらえるとすると、

これでよかったんじゃないか

と正直そう思えてしまいました。

乃木坂ファンのわたしから見ると、欅坂の楽曲のパフォーマンスは芸術性が高く、その楽曲の世界観に入り込んでとてもストイックに表現されていてすごいと思います。

一方乃木坂は、楽曲の表現のベクトルがファンに向いているような気がして、欅坂と比べると楽に世界観を味わうことができ、そんなに芸術的な敷居が高くないように思えます。語弊があったらごめんなさい。

欅坂にはたくさんのメンバーが所属することから、あれだけストイックに楽曲の世界観に入り込むという欅坂の特長が、合わないメンバーも中には存在するでしょうし、そんなメンバーの存在が、主流としてストイックに表現しているメンバーからみたら、異端に見えてしまうのも容易に想像できます。

誰でも集団の中では軋轢が生じて悩んでしまうのと同じように、その集団に合わないのであれば、もっと自分が輝ける場所を求めるのは自然の流れだと思います。


よく知らないのに失礼ですが、今泉さんを見ていると、みんなに合わせて和を大切にしようとされるタイプの方のように、わたしからは思えます。

もし自分の個性がその集団に合わなくて、自分のよさが欅坂では発揮しづらいのであれば、もっと輝ける場所で輝いてほしいというのが、正直なわたしの本音です。

欅坂に限らず組織の主流と異なる場合には、正しい正しくないにかかわらず異端とみなされることが多いです。異端な存在への対応は、厳しいものであっても、大多数の主流派から見てみると正しいと判断されることさえあります。

また受けた側がいじめと感じるといじめと定義されるため、いじめた側がいじめられた側の気持ちをどこまで理解していたのかを把握するのも、とても難しい問題です。

詳細はわかりませんが、わたしにとって今泉さんが輝ける場所で輝けるのが一番いいと思いますし、集団である以上、誰しも軋轢を感じるのは当たり前で、集団でいじめたという意識も他のメンバーにどれだけあったのか、報道されている印象よりそんなつもりはなかったのではないかと、考えるようになりました。

NGTの問題とは違い、欅坂の問題は特に内部の事情に左右され、内部の組織を深く理解した上で、考える必要がある問題であるため、双方の意見をしっかり聞いて、真相をつかんでいくしか真実にたどり着く方法はなさそうだと感じたのが、わたしの結論です。

最後に

大変長い文章でしたが、NGTのメンバー暴行問題、そして欅坂のいじめ問題に共通するのは、どの組織でもあり得る問題だという点です。

普通の方でも、今まさに似たような問題に直面してい方も多いことでしょう。本来であれば、実際に経験してみて失敗から組織の中での自分のあり方を学んでいくのが、体験学習としては一番学習効果が高いのかもしれません。

でもその失敗の過程において、NGTに関わる人たち、そして欅坂に関わる全ての人たちが傷つき、そして心の痛みが伴いました。それは、とても本当に不幸なことです。

個人的に誰かが苦しんでいるのを見たくはありません。そのため

組織の功罪をよく知ったうえで行動することで、これ以上誰もが胸を痛めることがないようにしてほしい
ほんの少しでもいいから、誰もが傷つく機会がなくなればいい

という気持ちが原動力となり、この長い記事を書かせていただきました。

口下手なので、わたしの言いたいことがちゃんと伝わったかについて、とても疑問な点も多いです。また、へんな風に誤解を受けるのもわたしの得意技でもありますので、この記事がみなさんにとって、どう映るのかもとっても心配です。

自信はありませんが、少しでもみなさまの役に立てる記事になってたらうれしいなーと、願いつつ今回のかえるがおはここまでです。

なーんにも知らないのに、生意気なことを言ってすみませんでした。