続・今日もやっぱりかえる顔

なぜか巻き起こってしまうまぬけな日常を、ひらがな中心のまぬけなテイストでお届けします。ときどき乃木坂46。

どうしても自分に自信が持てない人へおくる自信を持たなくていい理由

"どうしても自分に自身が持てないんです"

多くの人から相談受けて、多くの場面でこれまで聞いてきた言葉です。

自分自身もまーったく自信がありませんので、そんな無理をしてまで、
自分に自信を持たなくてもいいのにぃ
と思いつつも、傷ついて涙しているのに涙を見せないようにして泣いている姿を見ると、個人的にどうしても胸に迫るものを感じてしまいます。

ひろーい世の中ですから、確かに自信がありそうに見える人もたくさん存在します。
ただ見えるだけで、本当の気持ちはご本人にしかわかりません。

たとえ本当にその人が自信まんまんであったとしても、他の人と自分を比較すること自体が、あまり建設的な考え方ではありません。

そんな、自信が持てない人に送る今日のお話は、自信があるより、自信がないくらいの方がよい考え方ではないかという、お話です。

 

唐突ないぬのおはなし①

最近わたしの不注意で亡くしてしまったのですが、いぬを飼っていました。
遺伝子が劣性×劣性の劣性ホモが発現した、めずらしい色のいぬのちっちゃい女の子で、劣性遺伝子の割にはきれいな色をしていたので、散歩をしていると道行く人からよく声をかけられました。

めずらしい色ですねー。
女の子だったら交配してもらえませんか?
なんて声をかけられました。

以前はスケートリンクのそばに住んでいましたので、スケート選手たちが毎日かわいがりにきてくれるのですが、

そのいぬはまーったく心を開くことはありませんでした。
わたしの後ろに隠れて、じーっと上目づかいで見つめていました。

本犬にとってみると、自分がどんな色のめずらしいいぬなのか知りませんし、たとえわかったところで、本犬にとって見ると、自分と違う色のいぬの方がかわってみえたんでしょう。

もっとめずらしいいぬとしてプライドもちゃーいいのに、どんな人がやってきても心を開くことはなく、ぷーんといって、わたしの後ろに隠れていました。

突然のいぬのおはなし②

一方もういっぴきまぬけないぬがいるのですが、こいつがなんと驚くことに日本チャンピオン犬のむすこです。ほんとですよ。まぬけですけどね。

本来はショードッグになる予定だったのですが、襟足に逆毛があることが原因で、イレギュラー犬としてブリーダーさんのWebで販売されていました。

おとうさん犬もおかあさん犬もめちゃめちゃかわいいのに、たった1カ所の逆毛があるだけで、イレギュラー犬なんて名前をつけられている様子を見ていると、なんだかかわいそうになって思わず購入してしまいました。17年前のことです。

イレギュラー犬であってもチャンピオン犬の息子だけあって、エビの目のように黒目ばがりがくりくりでスタイルがよく、わたしにとってみるとまぬけなおもしろ犬でも、見る人がみるとショードッグでしょ?って、わかるもんなんですねー。わかいときはですけどね。

こいつが飼い主に似ず笑 女の子好きで、散歩で同じダックスの女の子を見かけると、すぐに寄っていきしっぽを振って愛嬌を振りまくのですが、決まって女の子に逃げられて、あげくのはてには叱られて、ふられてばかりなのでした。

毎日会う女性スケート選手にも自分から寄っていって、おなかをだしてひっくり返っては、こびを売っていました。どうやらこいつは、ひじょうにまぬけないぬのようです。本当はとても血統がよくてスタイルがいいいぬなんすけどねー。

 

いぬから学んだこと

なぜこのまぬけないぬたちの例を出したかといいますと、生物である以上人間もいぬと似ているなぁと思ったからです。乱暴な論理ではございますが…

劣勢ホモの女の子も、見かけ上チャンピオン犬のむすこも、どちらも他のいぬと比較した相対評価でいうと、めずらしいいぬに分類されると思います。あえて言うとめったにいないので、はなが高くなってもよい場面です。

でもどちらのいぬも、自分を基準とした絶対評価で物事を見ているため、先ほどの例のように自分自身にまーったく自信がありません。プライドのかけらもありません。

人間も同じではないでしょうか。
どれだけ生まれつき容姿がよくても、学習面が優れていても、コミュ力が高くても主体は自分であるため、本来の意味で客観的に他の人と比較ができないのではないでしょうか。

確かに人間の場合には鏡があります。容姿を自分で確認することができます。へんな格好していないか、ショーウィンドウに映った自分を確認することができます。


でも、鏡に映った自分は平面であり、周りの人がいつも見ている立体の自分ではありません。また、ずっと鏡で自分の様子を観察しているわけではないので、どんな顔しながら生活をしているのか、他の人のようには自分でわかることはできません。


結果的にどれだけ他の人と比較して優れていることであっても自信が持てないのは、自分自身のことだけは客観的に見ているつもりでも、客観的に見ることはできないため、当たり前のような気がします。

客観的な比較対象がない自信

誰でも自分のことは客観的に見れないにも関わらず、そして数多くの事例による比較対象との冷静な比較ができないのに、自分に自信をもつというのは、かなりたいへんなことのように思えます。

客観的な比較対象と比較ができないのに、少なくとも自分は自分自身に自信が持てません。というか自分に自信がもてるはずがありません。

でもご存じのように、どういう根拠かわからないのですが、自分に自信をもっている人がたーくさん存在します。根拠がわからない自信を持っている人と、自信が持てない自分とを比較しても、意味がないように思えてしまいます。

自信を持つことのデメリット

自己啓発本を見ていると、自分に自信をもち内面が満たされると、よいことが起こるなどとスピリチュアル的な記述をよくみかけますが、そんなに自分に自信を持った方がよいことなのでしょうか。

内面をプラス思考でいることでよいことが訪れるという、引き寄せの法則と言われる言葉もあるくらいです。

 

www.facefrog.net

 

ただ、わたしは医者ではないので本来は診断してはいけないのですが、これまでの経験上
・自分に自信を持っている自己中の傾向がある人
・周りに意見をするだけで聞く耳を持たない人
・理想への思いが強い人
というのは、精神疾患のリスクが高いように感じています。

このへんも難しい話になるんですが、かみくだいて言うと、どんなに自信があることでも上には上の人がたくさんいるし、自分に自信を持つと言うのは第三者が客観的に見ると、現実とはかけはなれていることが多く、現実とのギャップが発生してしまいます。

このブログを読んでいただいている方はごぞんじだと思いますが、現実とのギャップが一番のマイナス思考につながります。

現実と自分の思いがかけ離れていればいるほど、そしてその頻度が多ければ多いほど、マイナス思考につながり、精神疾患のリスクが高まるように思えます。

話を聞くのが好きなわたしにとってみると、自分に自信があってどんどん自分で決めたり自分の思いを発信したりする人って、他の人の意見や忠告が耳に届かない分、もったいないなーと思ってしまいます。

1人で考えるよりもより多くの人の意見を集約した方が、成功する可能性は高まりますが、自ら自分の思考に固執して、自分だけの力で事態を打開することってそう簡単なことではないからです。

自信を持てない人の強み

わたしの社会人経験上、自信をもってどんどん進める人より、自信がない人の方が現代社会で生きて行くには、むいているんじゃないかと思っています。

自信を持っている人の強みが行動力だとすると、自信が持てない人が生まれつき持っている能力が、リスクマネジメントだと思います。

現在、失敗することに寛容な社会ではありません。1度失敗すると叩かれたり炎上したりマウントとられたりして、なかなか再起が難しい時代です。日々のメディアの報道を見ていると、そんな誰でもいつかは経験する失敗くらいで、めくじら立てて責める必要ないでしょ?と思ってしまいます。

一方自信が持てない人は行動する前に、起こりうる結果を考えて、可能性を想定できるため、失敗するリスクが総じて低いように思えます。

マイナス思考で、もし失敗したらどうしよう、いやな結果になったらどうしよう、あの人に嫌われたらどうしようと、マイナスの結果を想定することができます。そのため、残念な結果にならないように、注意しながら言動に移すことができます。

自分に自信がある場合には、周りの意見を聞くことなく、自分の思ったように言動に移すことになってしまうので、立ち止まってリスクに思いを巡らせるのが、苦手な人が多いなぁと思っていました。 

比較すると、自信がある人に比べて、自信がない人の方が失敗する可能性が低く、失敗したとしてももしもの時に強い人が多いと思います。

まとめ

今回は日頃から考えていた、自分に自信が持てない人は、無理に自信を持たなくても、生まれつき持ってうまれた強みがありますよ、だから自分のよさに気づいてくださいね、と思っただけの記事でした。

まーったく自分に自信がないわたしですが、クレーム対応だけはなぜか好きなんですよ。自信ではなく好き程度ですけどね。まぁ変わっているのでなかなか理解はされませんが…。

なぜ好きなのかというと、成功体験が原因だと思います。
クレームを言う人のはなしをきいて、そりゃたいへんですねーなんて言ってるだけで、なぜかさっきまで怒ってた人がこぶしを収めてくれてですね、
あっけにとられて思わず、えへへと頭をかいてしまう場面というのが多かったんですよ。

それで、あーまた成功してしまった、じゃあもう1回勇気を出して話してみようと思ったら、理由はわからないけどまた成功してしまった…のくりかえしで、引っ込み思案のわたしでもクレーム対応だけは、進んで引き受けることができるようになりました。

自信を持つ必要はないとは思うのですが、わたしの場合と同じように、信頼できるひとがあなたの行動を本当はしっかり見て評価してくれているのかもしれませんね。

そんなことがあったら、ぜひ教えてください。
こんなことほめられたよー
あの人が自分の努力を見てくれてたんだー

なんて報告してもらえることが、わたしも同じように喜ぶことができてうれしいです。
幸せのおすそわけ報告を、おまちしていますね。

以上、ひさびさのかえるがおでした。
ちゃんちゃん。