横浜アリーナでのライブで乃木坂を卒業した、斉藤優里さん、伊藤かりんさん。
どちらも乃木坂メンバーの中でも、唯一無二の存在として異彩を放っていたメンバーでした。
斉藤優里さんと言えば、その底抜けの明るさで、乃木坂のムードメーカーとしていつも乃木坂の舞台で輝いていました。ゆったんさんがいるだけで、何か楽しいことが巻き起こりそうな、楽しい雰囲気を感じることができました。その明るい言動、そしてゆったん独特のゆったん語に、気持ちが明るくなったファンの方も多かったことでしょう。
また、伊藤かりんさんといえば、マイペースでなかなか自分から前に出ない乃木坂メンバーの中で、唯一の仕切り上手なしっかり者キャラで、メンバーのプライベートにおいても大いにその能力を発揮し、メンバーからの信頼で注目を集めているメンバーでもありました。
かりんちゃんが卒業してしまうと、乃木坂メンバーの旅行の手配は誰がやることになるのでしょう。年末の乃木坂流行語大賞はどうなるのでしょう。ライブ終わりのごはん会の写真は誰がアップして見せてくれるのでしょうか。
グループからの卒業というと、本来は大変おめでたいことなのかもしれませんが、個人的に「おめでとうございます」と素直になぜ言えないのか、その原因を今回は個人的に考えたいと思います。
出典:https://www.excite.co.jp/news/article/Mdpr_music1840589/
さいとうといとう
今回の斉藤優里さん、伊藤かりんさんの卒業は、乃木坂の歴史上大きな意味を持っていたように思えます。
本当にさびしいことですが今回の卒業で、かつて1期生の最大派閥をほこっていた「さいとう」姓が、わずか1人になってしまいます。元メンバーの斎藤ちはるさんは、毎朝ワイドショーで見かけることができますが、乃木坂という環境で見ることができないのは、やはりさびしい限りです。ワイドショーでのちはるさんは、よい意味でアナウンサーっぽくなくて、ちはるさんらしさを失わないMCぶりが今後の可能性を感じますけどね。
また伊藤かりんさんの卒業も、同じように現在乃木坂最大派閥の「いとう」姓が、またもや減ってしまうことになってしまいます。1期生で「いとう」姓だった、伊藤寧々さん、伊藤万理華さんの卒業後、伊藤かりんさん、伊藤純奈さんと伊藤理々杏さんの3名になってしまった伊藤姓が、また1人減ってしまうことになりました。
世間的には同性が減ることで、メンバーの名前の混乱を避けることができて一般的には喜ばしいことなのかもしれません。しかし、乃木坂ファンにしてみると、「さいとう、いとう、えとう、さとう」が元々ややこしい分、メンバーの個性が焦点化され、個性で見分けることができたというこれまでの過程を考えると、「さいとう、いとう」のメンバー減ることに、わたしと同じようにとてもさびしく思われるファンの方も多いのではないでしょうか。
当初の目標を果たしてトップアイドルとなった乃木坂46というグループは、個人的にいま現在、転換期にあるように思えます。
乃木坂46からの大量離脱
このへんから話があやしくなっていくのですが、国民的な人気を誇るアイドルとなったにも関わらず、なぜ乃木坂46から卒業するメンバーが、今この時期に相次いでいるのでしょうか。
それぞれのメンバー卒業の理由は、それぞれメンバーの数だけ異なるとは思うのですが、大半のメンバーに共通する、ある共通点があるように思えます。
その共通点とは、メンバーを取り巻く「環境」が卒業に気持ちが向いてしまう一因ではないかと思うのです。
難しい話を言ってすみませんが、誰でもその人が置かれている環境からの刺激により、自分の意思を持つことが多いと言われます。
卒業したメンバーそれぞれが、大好きな乃木坂の活動を、もうそろそろやめてもいい、と思えるような、メンバーを取り巻く環境が、個人的には現在の乃木坂にあるような気がしてならないのです。
乃木坂46に対するプロデュース側の考え方
また、これまでの乃木坂の歴史の流れを振り返ってみると、プロデュース側はメンバーが変わったとしても、乃木坂46というグループを、長年にわたって継続して行きたいという意図を感じます。
1期生、2期生、3期生、そしてトップアイドルとなっても、4期生メンバーを乃木坂に迎えるということは、新たに若い年齢層のメンバーを加えて新陳代謝しながら、後々の世代まで長く乃木坂を残してきたいという意思、いやな表現方法ではありますが企業的にいうとビジネス戦略のように思えます。
若い年齢層のメンバーを迎えて新陳代謝と表現しましたが、この新陳代謝という言葉自体が、よくよく考えてみると本当は残酷な意味合いを持っていることがわかります。
新陳代謝 古い者が新しい者と次々に入れ替わることを言う
※引用Wikipedia
もちろん同じプロデューサーが携わる同様のアイドルグループも同じビジネス戦略のようなので、メンバーが入れ替わっていくアイドルグループについて、違和感がないファンもいるのかもれません。少なくともわたしの周りで見かけることはありませんが…
乃木坂46の今があるのは
しかしながらアイドルファンではなく、乃木坂ファンのわたしにとってみると、メンバーの新陳代謝といわれても、これがなかなか理解が難しいシステムなのです。
乃木坂の成長過程をメンバーと一緒に追体験してきたわたしにとってみると、乃木坂というグループ=ひとりひとりのメンバーと同じ意味で、個々のメンバーの想像を絶するような努力があったからこそ、現在の乃木坂46の姿があるのではないかと、個人的な印象を持っています。
その個人的な思いが、これまでの乃木坂の坂を一緒にのぼってきたメンバーの卒業を、どうしてもおめでたい出来事には思えず、身を切られる思いで感傷的になってしまう原因ではないでしょうか。
なにも新規に加入したメンバーがよくないと言っている訳ではなく、既存のメンバーが努力で作り出した居場所を奪うような環境は作ってほしくないと願っているだけです。
営利企業のあり方としては違うのかもしれませんが、いつまでも変わらずメンバーの成長を一緒に、これからもずーっと追体験し続けることができるアイドルグループがあってもよいのではないかと個人的には思います。
出典:https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201905240001472.html
これまで青春の一番いい時期を乃木坂の活動に捧げてきたメンバーにとって、苦悩を乗り越えてきた分だけ安心できる環境を用意することも、メンバーに対する感謝と敬意の表し方のように、個人的には思えてしまいます。
乃木坂のビジネス戦略に対する、グループ批判みたいになって申し訳ありません。まったくそういう意図はなく、できればグループ自体が、もっともっとメンバーにやさしくなってほしいと思っただけです。かんちがいしないでくださいね。
まとめ
斉藤優里さん、伊藤かりんさんにとってみれば、お祝いメッセージの1つも書けない、いやーなかんじの記事になってしまって申し訳ありません。
ただ、最初から乃木坂という箱は変わらず、メンバーはその都度変わっていきますよ、ということを覚悟しておくだけで、メンバーの卒業で感傷的になることはなかったのかもしれません。自分の最初の受け取り方の問題なだけなので、この点についてもお詫びしたいと思います。
でも、そんな中でも今でも、自分の体調も顧みず乃木坂というグループにすべてをささげて頑張っているメンバーがいます。
ぜひそのようなメンバーが、努力の分だけ報われて、そしてこれ以上傷つくことがないような、人にやさしい乃木坂であってほしいと願って記事を書かせていただきました。
実はこの記事は続きがあります。本来の目的は別の意図だったのですが、半分だけ切り取って1つの記事とさせていただきました。続きはまた次回にお届けします。