続・今日もやっぱりかえる顔

なぜか巻き起こってしまうまぬけな日常を、ひらがな中心のまぬけなテイストでお届けします。ときどき乃木坂46。

『いつのまにか、ここにいる Documentary of 乃木坂46』は見返したくなる作品だった

『いつのまにか、ここにいる Documentary of 乃木坂46』は乃木坂46を題材にした2作目のドキュメンタリー映画です。

前作『悲しみの忘れ方 Documentary of 乃木坂46』から4年。前作で描かれた結成の頃から4年間の乃木坂46と比べ、今や国民的アイドルまで坂を駆け上がってきた乃木坂46が、今回の作品でどう描かれるのか、個人的に楽しみにしていた作品でした。

今回は『いつのまにか、ここにいる Documentary of 乃木坂46』を鑑賞して、1乃木坂ファンであるわたしかえるがおが感じたことを、まとめて記録に残しておきたいと思います。

出典:https://www.2019-nogizaka46.jp/

 

 

 

アイドルを知らない目線

アイドルって一般的な世の中の人にはどう思われているのでしょうか。また乃木坂46というアイドルは、アイドルファンではない人たちにどう思われているのでしょうか。

冒頭で本作の岩下力監督は、アイドルのことをよく知らなかったと告げています。

アイドルを知らない人が描く乃木坂46という構図が、乃木坂ファンだけでなく、アイドルのことやまだ乃木坂のことを知らない人にとって、ドキュメンタリーとして映画に感情移入しやすい視点だったように思います。

監督が乃木坂46をもっと知ろうと思ったきっかけが、乃木坂特有のメンバーの仲のよさで、ともすれば対立しがちな年頃の女の子の集団において、なぜ乃木坂メンバーは仲がよいのだろうかと疑問を持つのも、一般的な普通の視聴者の感覚ではないでしょうか。

なぜ仲が良いのかというひとつの疑問の答えは、様々な要因があるとは思うのですが、どんな切り口で答えを求めていったとしても行き着く先は、乃木坂お得意の個性溢れる個々のメンバーのよさを集めた集団、という答えにたどり着くように思えます。


なぜ乃木坂メンバーが仲がよいのかと疑問を持つことは、結局乃木坂メンバー個々の魅力を知ることへつながるため、乃木坂に興味がない方でも、乃木坂に興味を持つよいきっかけになり得る作品だったと思います。

 

なぜ乃木坂のパフォーマンスに心を打たれるのか

包み隠さず書くと、乃木坂ファンになる前は、個人的にはももクロファンでした。ももクロの全力パフォーマンスに心を打たれてファンになりました。

 

実は乃木坂のパフォーマンスを最初に見たときに、「あ、ももクロと似てる」と思いました。それは、振り付けという見た目ではなく、メンバーが全力で取り組むパフォーマンスが似ていると思ったのです。

時は流れて、乃木坂46は今もなお全力でのパフォーマンスを展開しています。ダンスを職業としていた人は、後に激しいダンスの後遺症に苦しむ人も多いです。あのマイケル・ジャクソンの晩年も、身体の酷使による激しい痛みとの戦いでもありました。

身体を酷使する激しいダンスができるのは、人生のうちのほんの一瞬しかありません。その一瞬であるはずのきらめくパフォーマンスをなぜ続けているのか、そして続けられるのかというのが、わたしの乃木坂46に対する疑問でもありました。

 

映画の中で描かれている2018年末レコード大賞の出演前のメンバーを見て、その意味がほんの少しだけわかったような気がしました。

 

本番の数時間前から廊下に徐々に集まってくるメンバー。衣装もすべてそろっているわけでもないのに、廊下で懸命なパフォーマンスの練習を始めます。お世辞にも国民的アイドルにふさわしい稽古場とは言えません。


そんな中、オケの音がないパフォーマンスから聞こえてくるのは、メンバーの大きな振りで着ている服がこすれる音です。

 

まるで空手の型の演舞を見ているかのような、キレッキレの音が真剣な表情の乃木坂メンバーから聞こえてきます。これこそ、プロフェッショナルのパフォーマンスを示しています。

ポイントは大きなガラスです。大きなガラスの前でパフォーマンスすることで、自分のパフォーマンス、また乃木坂46のグループとしてのパフォーマンスを客観的に確認できながら練習することができます。

このグループ全員の凝集性と、振り付けのSeishiroさんが本番後に語っていた、メンバーそれぞれがみんなのことを思ったパフォーマンスという、この思いが、どのアイドルも持っていない乃木坂のパフォーマンスで、このことこそが、乃木坂のパフォーマンスに心を打たれる原因だとやっとわかりました。

すごく振りが大きく、しなやかなのに激しくて、正直時々見ていて、身体は大丈夫なのかなと、頼まれてもいないのに心配になることもあります。

でも乃木坂メンバーは、パフォーマンスのベクトルをメンバー全員で合わせて確実にファンの目線に置いているからこそ、パフォーマンスに心を打たれる1ファンのわたしがいることが、やっと理解できました。
 

やっぱり乃木坂はすごいです。

儚さと切なさと

映画の中では、乃木坂の一時代を築いたかつてのメンバー西野七瀬さんの卒業をめぐる時間軸に、スポットが当てられていました。


西野さんを一番近くで見て、一緒に努力を続けてきた高山さんは、西野さんのことを「儚さと切なさ そして男っぽい」と評されていました。

儚さと切なさを高いレベルで演じることができる西野七瀬さん。女優という道を選択されたことはよく理解できるような気がします。名作『初森ベマーズ』で高いレベルで演じられた様子を見て、本当に新進の女優さんかと目を疑いました。

精神力が高い分だけ、そして絵が得意な分だけ、今後の自分の進むべく道は西野さんの中にはもう描かれているのかもしれません。

西野さんの卒業については、気持ちをすべてまとめて、記事にさせていただいていますので、今回は割愛させてもらいたいと思います。

 

 

 

齋藤飛鳥という存在

映画の最後を締めくくるのはエース齋藤飛鳥さんです。イギリスエディンバラの丘陵で自分を正面から見つめるシーンです。

飛鳥ちゃんは本当にとてもやさしいです。一生懸命自分の気持ちを言葉に変換して、言葉を紡いでたくさん話してくれます。


本来、自分の気持ちを言葉にするというのは、とても難しい作業です。言葉で表現してみたとしても、微妙に自分の気持ちと違っていて、自分自身反省することも実は多いです。

自分の気持ちのとても深いところまで見つめて、その気持ちとまったく同じことを言葉で、聞いている人にわかるように表現するというのは、とても難しいというより、厳密にはできないといってもおかしくない作業です。

でも飛鳥ちゃんは異なります。インタビューで質問を聞いて自分で咀嚼して、その人のために一生懸命自分の気持ちと向き合って、たとえネガティブな気持ちであっても、一生懸命言葉を紡いで答えてくれます。

文学作品を読んでるだけあって語彙が豊富で、そして分析も鋭く、自分の内面としっかり向き合って答えてくれます。

 

きっと、飛鳥ちゃんにとって、すっぴんとかリップだけを塗っているような薄いメイクって、とっても意味を持つものなのかもしれません。齋藤飛鳥という存在の本来の姿は、そこにあるのではないかと、個人的にはどうしても思っていまいます。

 

出典:SHOWROOM齋藤飛鳥 2019/07/23

とってもやさしくて、気遣いやさんで、そして誰よりも愛情深く、そしていじっぱりで負けず嫌いで、そして孤独で、よいところも悪いところも含めて、これが齋藤飛鳥という存在だと思います。

 

悪いところも含めてと表現しましたが、これは本当は正しくなく、泣きたいときは泣けばいいのに、その美しい涙を人前で涙を見せたくないという意地っ張りなところを見ると、ほっこりした気持ちになるし、ものを食べるときに上を向いて食べるのも、これもまた飛鳥ちゃんらしさという、個性を彩る魅力のように感じます。

 

言い換えると

齋藤飛鳥は、齋藤飛鳥そのものだから、すばらしい存在だと思いました。

 

 

そりゃ、これまでと同じように今後もみんなと同じように、飛鳥ちゃんも成長していくでしょう。

でも、飛鳥ちゃんは飛鳥ちゃんだからよいわけで、無理に変わる必要はないように個人的には思えます。現状で十分魅力的で存在が輝いていて、変わらなくてもみんなが認めるすばらしい存在に変わりありません。

飛鳥ちゃんのお母さんは、飛鳥ちゃんの表現するところの飛鳥ちゃんのネガティブな面もすべて知っているうえで、無償の愛情を飛鳥ちゃんに注いでくれます。

飛鳥ママには到底及ばないのですが、我々飛鳥ちゃんファンも同じような気がします。

今の等身大の齋藤飛鳥という存在が好きで、すべてひっくるめて応援しているわけで、その感性、表現、感受性、すべてが齋藤飛鳥作り出す要素として、何一つ不要なものがなく存在自体が魅力的なんだと、1ファンとして気づかせてもらった、1シーンでした。
 

乃木坂ファンにとって

乃木坂のドキュメンタリー映画第2弾の今回の作品は、乃木坂ファンにとって、そして特にわたしにとって、思い出したときに時折見返すことが必要な作品のように思います。1度見ただけでくたくたに疲れて、そう簡単には見れない作品になった『あの頃、君を追いかけた』とは大違いです。
 


テレビに映える乃木坂メンバー、ファッション誌を華やかに飾る乃木坂メンバーを見続けていると、知らないうちに感じてしまうことがあります。

国民的アイドルで雲の上の存在のような華やかな世界の人だと。



そんな時に是非もう一度今回の作品を見返えしてみたいと思います。するときっと思い出すことでしょう乃木坂メンバーはそれぞれ、何ら変わらない、普通の女の子であることを。

 

意思を持ち葛藤を抱えながら努力している彼女たちのことを。


等身大の彼女たちの存在を感じて、自分も負けないように彼女たちとともに、今を生きていきたいと思えた作品でした。